オーラの泉(2005/12/07放送)に、オペラ歌手の
中島啓江さんが出演。
○中島啓江さんのプロフィール
中島 啓江(なかじま けいこ)
生年月日:1957年11月15日
出身地:鹿児島県
血液型:A型
1979年、藤原歌劇団に入団。
「修道女アンジェリカ」でオペラ歌手デビュー。
1985年、「マック・ザ・ナイフ」でミュージカル初出演。
1986年、「天高くオペラ肥ゆる秋」で初ソロコンサート。
○冒頭
中島さんからのメッセージ。
→美輪さんのコンサートに行くと、いつもエネルギーを
もらっている私ですが、今回もどうぞ私に元気を与えて
ください。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃、なりたかった職業
→花屋さん
・好きな色
→黄色
・一番好きな言葉
→ありがとう
・不思議な体験
→幼稚園の頃、車にはねられ、地面に叩きつけられる大変な
事故に遭ったが無傷だった
・一番大切な曲
→アメイジング・グレイス
母が大好きだった
・一つだけ願いが願うなら何を願う
→お母さんと一緒に暮らしたい、生き返って欲しい
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、何度かお会いしている。
→この前も美輪さんのコンサートに行き、元気をもらった。
→普段は辛くても、広い平原のきれいな空気の中で、
美輪さんの歌を聴いているような気持ちで、リラックス
している、と中島さん。
江原さんとは、初めまして。
→名前に大好きな漢字の「啓」が入っている、と中島さん。
→啓江という名前の意味は、広い入り江の子供。
→川には大小さまざまな川があり、枯れそうな川でも
雨が降ればまた川になる。
人間も同じで、何かを注いであげれば、生き返る人もいる。
→揚子江のように、大海原に出る前にワンプッシュして
あげられるような人間になって欲しい、と母が名付けた。
今までのオーラの泉とは全く違う、中島さんは波動が違い、
愛がいっぱい詰まっている、と江原さん。
→無駄なく愛が詰まっている人は、初めて見た。
○オーラの色
オーラの色は、紫。
→観音菩薩に象徴される慈悲の色。
○お花屋さん
小さい頃は、お花屋さんになりたかった。
→花も好きだが、花を渡す時のお客さんの笑顔も大好き。
途中からは、うたのおねえさんに憧れた。
→小学校に真里ヨシコさん(「おかあさんといっしょ」の
うたのおねえさん)がきれいなドレスを着て、童謡を歌いに
来てくれた。
→最後に児童代表が花を持って行った時、素敵な笑顔で
「ありがとう」と言い、アンコールを歌ってくれた。
→お花で歌ってくれた、素敵、と思い、この仕事に憧れた。
好きな花は、タンポポや菜の花。
→タンポポは特に好き、好きな色も黄色。
→私も黄色が好き、と江原さん。
→部屋を黄色にしていると色の力で、朗らかになり、
楽しくなる。
○不思議な体験
幼稚園の頃、車にはねられて体が宙に飛ばされ、見物人が
たくさんいて、絶対に無理だと思われていたが、無傷だった。
→その時の記憶は「おじちゃん、ありがとう」と言ったこと。
→誰かが抱きとめてくれた、と思ったが、後から誰も
いなかった、と言われた。
→そのおじちゃんが誰かは分からないが、大きい手という
イメージがある。
実際の霊、と江原さん。
→中島さんの後ろにいるお母さんは、お母さんの父方の
おじいさん、とおっしゃっている。
→その人が助けてくれた。
絶対に死んではいけない人間だから、絶対に悪いことは
できない、と中島さん。
→誰かのお役に立ちたい気持ちでいっぱい。
辛くて悲しいこともあったが、それは必要なお勉強、と美輪さん。
→悪いことが無かったら、良いことに巡り会えない。
→その想いは、声の波動になって伝わる。
美輪さんは、漫画家の水木しげるさんと対談し、70歳になっても
成長すること、色々なものが見えてくることを話した。
→歌の解釈や、世の中のことがものすごく分かりやすくなる。
→人間は進化していくので、30代や40代で自分でブレーキを
かけることは無い。
→自分の可能性は無限にある。
○願い
願いが一つ叶うなら、お母さんと一緒に暮らしたい。
→20年ぶりに母と一緒に暮らせるようになったが、9年前に
亡くなった。
一緒に住んだのは、2〜3年だった。
→もっと色々な所へ連れて行きたかった。
母も中島さんも「アメイジング・グレイス」が大好き。
→母の病室でも「アメイジング・グレイス」を歌ったが、
最後まで歌い切ることができなかった。
→ずっと歌っていかないといけない歌だと思っている。
→コンサートでも歌い続けているが、自分の悲しみよりも、
みんなが元気になってくれれば良い、と思っている。
→お役目、と美輪さん。
お母さんは中島さんを見守り続けている、と美輪さん。
→亡くなっても姿が見えないだけで、ずっと側にいる。
→コンサートの時もちゃんと歌を聴いている。
お母さんは紫の花を持っている、と美輪さん。
→お母さんは紫色の花(鉄線)が大好きだった。
お母さんは、子守唄「ゆりかごの唄」を歌っている、と江原さん。
→母の口から聴いた初めての童謡だった、と中島さん。
→学校の音楽会で歌手になろうと思ったのは勘違いで、
母の子守唄が歌心を付けた、と江原さん。
お母さんは、「一番いいときにこの世を去った」と
おっしゃっている。
→数年でも一緒に過ごせたため。
→お母さんは中島さんに、もっといっぱいしてあげたかった
けれど、今はその気持ちは無い。
→自分ができる限り、精一杯の愛情を込めて育てたから。
今の母親は子守唄を知らないし、赤ちゃんに歌ってあげない、
と美輪さん。
→情操教育で良いトラウマを植えつけないため、、中学高校に
なってからグレてしまう。
→母親の愛の波動が伝わっていない。
→子供がグレたときに子守唄を歌うと、無垢で純情だった頃の
気持ちに戻ることができる。
「ありがとう」という言葉は大好き。
→小学校の頃、中島さんは転校することになり、意地悪を
する子にも、「ありがとう」と言ってごらん、と母に言われた。
→意地悪をする子には挨拶をしたくなかったが、母は
絶対に変わるよ、と言ってくれた。
→転校する日に、意地悪な子の顔を見て「ありがとう」と
言ったら、泣きながら「ごめんね」と言ってくれた。
→柔能く剛を制す、と美輪さん。
○恩師
砂原先生がいる、と江原さん。
→砂原美智子(1923〜1987)
昭和音大で中島さんを指導し、オペラへの道を開いた恩師。
→すごく厳しく、辞めていった人たちはたくさんいるが、
中島さんは最後までしがみ付いていた。
先生が亡くなった後も中島さんは、しょっちゅう話しかけていた。
→先生は、全く寂しい思いをしなかった、とおっしゃっている。
○守護霊
守護霊の中心は、お坊さん。
→大玉の数珠を首から下げている。
もう一人の守護霊は、鎌倉時代辺りのかぐや姫のような
着物の女性。
補助霊は、砂原美智子先生とお母さん。
→砂原先生は、中島さんが歌を習っていた頃、山田耕筰の
歌について質問されたことを話している。
→中島さんのために、先生は山田耕筰に色々な質問を訪ねに
行ったことがある。
中島さんは、山田耕筰と北原白秋の作品「からたちの花」の詞に
どうしてこのメロディーをつけたのかを先生に質問した。
→すごくきれいだが、歌い手にとってはとても難しいため、
二人の人間関係を知りたかった。
→先生は、分からないことをちゃんと確かめないと嫌な
性格だった。
山田耕筰(1886〜1965)は、「赤とんぼ」「からたちの花」
などで知られる作曲家。
オペラ、映画音楽などあらゆる音楽分野に貢献。
北原白秋(1885〜1972)は、大正〜昭和初期の詩人。
「からたちの花」の作詞者。
お母さんも中島さんも衣装ケースが好き。
→衣装ケースに整理するのが習慣になっている。
切れ端一つでも保管している。
→お母さんは少し処分しなさい、とおっしゃっている。
→身軽になった方が良い。
お母さんは、墓で泣かないで、とおっしゃっている。
→死者を想うことは、死者にとってありがたいことだが、
悲しみの波動が伝わってしまうと、成仏できなくなってしまう。
→良い波動を送り、私のことは心配いりません、と言って
あげると、成仏できる。