細川たかしさん
オーラの泉(2006/07/12放送)に、演歌歌手の
細川たかしさんが出演。
○細川たかしさんのプロフィール
細川 たかし(ほそかわ たかし)
本名:細川 貴志
生年月日:1950年6月15日
出身地:北海道後志管内真狩村
血液型:A型
1975年4月1日、「心のこり」でデビュー。
○スピリチュアル・チェック
・生まれ変わるなら何になりたい
→歌手
・この世からなくなると困るもの
→家族、テレビ
・一番悲しかったこと
→母を亡くしたこと
・最近、どんなことで腹が立ったか
→腹は立たない、ケンカをしたこともない
・人生の転機
→「欽どこ」に出演し、演歌界を明るくしたこと
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、デビューした頃に一緒に仕事をしたことがある。
江原さんとは、初めまして。
○家族
結婚して35年経つ。
→奥さんとは、デビュー前に北海道で出会った。
昭和49年に子供が生まれた。
デビューは昭和50年、24歳のとき。
→デビュー前は、16歳のときからクラブ歌手をやっていた。
北海道でスカウトされ、24歳で東京に出てきた。
→奥さんは、人生は一度だから勝負したほうがいい、と
反対はしなかった。
1年で売れなかったら、北海道に帰るつもりで東京に
単身赴任で出てきた。
→運が良くデビュー曲がヒットした。
テレビに出たい、と一点だけ注文したことがある。
→売れても売れなくても、テレビに出れば北海道に帰ったときに
話ができるため。
○人生の転機
人生の転機は「欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)」に
出演し、萩本欽一さんに出会ったこと。
→昭和56年の春に「8時だヨ!全員集合」の生放送中にアキレス腱を
切ってしまい、3ヶ月間休養し、テレビの仕事がなかった。
→秋に「欽どこ」に出演し、結構ウケた。
→久々のテレビ出演だったため、欽ちゃんにテレビって
いいですね、今は暇なんですよ、と言ったら、
来週もおいでよ、と言われた。
「欽どこ」に出演しているうちに、歌い手だから歌を出そう、
ということになり「北酒場」を出すことになった。
→すぐに「欽どこ」で歌うことになり、歌詞を覚えていなかった
ため、カンペを用意してもらった。
→本番では照明が暗くなり、スポットライトだけだったため、
カンペが見えなくなり、歌詞を覚えていません、と謝ったら
客が大ウケした。
→「北酒場」は大ヒットした。
○魂の目的
魂の目的が明確、と江原さんがコメント。
→怪我や歌詞を忘れたことも災いではない。
→禍転じて福となす、怪我の功名。
→あの世は演出家。
母からのメッセージ。
→車に注意しろ、車のことが昔から心配、歌い手だから首を
とにかく痛めてはいけない、とお母さんがおっしゃっている、
と江原さん。
→細川さんは、デビュー前に事故をしている。
→怪我はあまりしなかったが、首がむちうちになった。
→お母さんは事故の印象が強烈に残っているため。
お母さんはとても苦労しているが、一度たりとも子供のことで
苦労と思ったことがない。
→子供を持ったことを今でも感謝している。
→何もしてあげられないが、心配だけはしてあげられる。
愛、と美輪さんがコメント。
→愛する人間は、やってあげることだけが幸せ。
→無償の愛、与えることが喜び。
細川さんは7人兄弟で、兄と姉は4〜5歳の頃に亡くなっている。
→姉が亡くなった次の日に細川さんが生まれた。
→お母さんは喜びと悲しみが一緒にきた。
→お母さんは今、亡くなった子供とは一緒にいる、と江原さん。
→お母さんは今は幸せにしている。
屋根の話で笑っている、と江原さんがコメント。
→家の屋根で不自由したね、とお母さんが笑っている。
→一晩で雪が80cm〜1m積もるため、毎朝、雪下ろしをしていた。
両親は農家のため、朝から晩までずっと畑作業をしていた。
→仕事や子育てなどがとても大変だったが、全く辛いと思って
いないのは見事、と美輪さんがコメント。
お母さんは、明るく朗らかな人であり、立派な母親。
→細川さんの朗らかさは母親似。
芯が強いのもお母さん譲り。
お母さんは、テレビに出たことがある。
→一番の自慢はテレビに出たこと、とおっしゃっている。
→「家族対抗歌合戦」に出たことがある。
→家族は全員テレビが好き。
家族愛に恵まれている、と美輪さん。
→歌手になり東京に出てきても自由にさせてくれた。
→いろいろと心配をかけたが、売れたとたんに親孝行できたな、
と思った。
○オーラの色
オーラの色は、シルバーと赤。
シルバーのオーラは、こだわりが強い、古風。
赤のオーラは、頑固で情熱的。
朗らかであり怒りは無いが、頑固で信念が強い。
→外柔内剛。
心配してくれる方との縁がすごくある。
→どこの地でも、支援してくれる方に恵まれる。
→全国に行ってもいい人ばかり。
言われる前に歌い、親しみやすいため、すぐに身内のように
なってしまう。
→雰囲気で歌ったらいいな、というのがわかる。
→歌うことは減るものではない。
歌うことが全然苦にならないのは、歌うために生まれてきたから、
と江原さん。
○前世
そう簡単にすぐに生まれ変わらないが、細川さんは前世とは
あまり時間が離れていない、めずらしい、と江原さん。
→歌うために前世のリベンジで生まれてきた。
前世は東北の民謡歌手。
→雪の中、津軽三味線を持ち、歌い歩いていた。
目が不自由だった。
→細川さんは、人に会うときは必ず人に触れる。
会った瞬間、本能的に握手をする。
→前世での触れて確認する習慣。
前世では檜舞台に立てなかったため、もっと自分は歌えるのに、
という思いがあり、生まれ変わったら歌手になる、という思いが
強くあった。
→細川さんは、生まれたときから歌うのが好きだった
→小さい頃、近所のおばあちゃんを集めて歌を歌っていた。
→デビュー曲がヒットしたのも運だけではない。
天性の歌い手は咽を痛めない、と美輪さんがコメント。
→50歳を過ぎるとキーが変わって下がってしまうが、天性の
歌い手はキーが変わらない。
→少し上がったくらい、と細川さん。
東北の民謡は北海道の民謡よりもこぶしが効いている。
→若いときから、こぶしは知らないうちから出来ていた。
○守護霊
守護霊は、前世と同じ東北の民謡歌手。
前世が守護霊になるのは、グループソウル(類魂)があるため。
→グループソウルとは、霊界にあるたましいの家族。
グループソウルをコップの水に例えると、コップからこぼれた
一滴の雫が前世。
→その一生が終わり、コップの中へ戻る。
→次にこぼれた一滴の雫が細川さん。
→コップの中の液体は同じであり、魂が経験したことは
忘れない。
→グループソウルは守護霊になるため、前世と守護霊が
一致することも多い。
→どんな人にもグループソウルがあるため、守護霊が
いない人はいない。
守護霊とはずっと一体、二人羽織、と江原さん。
→守護霊さんとしては、民謡を歌ってもらいたい。
補助霊は父方の祖父。
→おじいさんは尺八を吹いていた。
→孫の歌に合わせて尺八を吹きたい、という思いがある。
→細川さんは、歌うために生きている人。
普通の人は現実ばかり見ているが、細川さんは空想と現実が
交錯していて、発想の転換を図っている、と美輪さん。
→最近、歌うときに目をつぶる、と言われる。
→目が不自由だった前世そのもの。
→目をつぶると、想像を絶するくらい声が出る。
→目を開けて歌うと気が入らない。
今後は後進指導を考えること。
→声が出ている間に弟子を育てて行きたい、と前から思っている。
→守護霊さんたちも同じ思いを持っている。
○人間の寿命
寿命は自分で決めてきている、しかし、それは知らない
ほうが良い、と江原さん。
→短いから不幸、長寿だから幸せというわけではない。
100年生きても、あの世から見れば瞬きのようなもの。
→短命でも長寿でも、色々なメニューから学ぶことが大切。
死ぬことを考えることは、今日をどう生きるかを考えること、
生きることを考えることは、どうやって死んでいくかを
考えること。
→それを見つめることは大切だが、自分の寿命を思う必要はない。
宿命は青写真(設計図)、と美輪さん。
→心がけ次第で宿命は設計変更できる。
→自分の役目に気付き、やるべきことをやるための時間が
足りない場合、寿命は延びる。
→良い行いで徳を積むと、残りの人生が変わる。
→本人の心がけ次第。
死は平等に苦はない、苦しいのは肉体だけ、と江原さん。
→死は魂が肉体から離れるだけ。
→魂に苦しみはないため、死は安らか。
→肉体の見た目では判断しないほうが良い。
次回のゲストは、山本耕史さんです。
細川たかしさんが出演。
○細川たかしさんのプロフィール
細川 たかし(ほそかわ たかし)
本名:細川 貴志
生年月日:1950年6月15日
出身地:北海道後志管内真狩村
血液型:A型
1975年4月1日、「心のこり」でデビュー。
○スピリチュアル・チェック
・生まれ変わるなら何になりたい
→歌手
・この世からなくなると困るもの
→家族、テレビ
・一番悲しかったこと
→母を亡くしたこと
・最近、どんなことで腹が立ったか
→腹は立たない、ケンカをしたこともない
・人生の転機
→「欽どこ」に出演し、演歌界を明るくしたこと
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、デビューした頃に一緒に仕事をしたことがある。
江原さんとは、初めまして。
○家族
結婚して35年経つ。
→奥さんとは、デビュー前に北海道で出会った。
昭和49年に子供が生まれた。
デビューは昭和50年、24歳のとき。
→デビュー前は、16歳のときからクラブ歌手をやっていた。
北海道でスカウトされ、24歳で東京に出てきた。
→奥さんは、人生は一度だから勝負したほうがいい、と
反対はしなかった。
1年で売れなかったら、北海道に帰るつもりで東京に
単身赴任で出てきた。
→運が良くデビュー曲がヒットした。
テレビに出たい、と一点だけ注文したことがある。
→売れても売れなくても、テレビに出れば北海道に帰ったときに
話ができるため。
○人生の転機
人生の転機は「欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)」に
出演し、萩本欽一さんに出会ったこと。
→昭和56年の春に「8時だヨ!全員集合」の生放送中にアキレス腱を
切ってしまい、3ヶ月間休養し、テレビの仕事がなかった。
→秋に「欽どこ」に出演し、結構ウケた。
→久々のテレビ出演だったため、欽ちゃんにテレビって
いいですね、今は暇なんですよ、と言ったら、
来週もおいでよ、と言われた。
「欽どこ」に出演しているうちに、歌い手だから歌を出そう、
ということになり「北酒場」を出すことになった。
→すぐに「欽どこ」で歌うことになり、歌詞を覚えていなかった
ため、カンペを用意してもらった。
→本番では照明が暗くなり、スポットライトだけだったため、
カンペが見えなくなり、歌詞を覚えていません、と謝ったら
客が大ウケした。
→「北酒場」は大ヒットした。
○魂の目的
魂の目的が明確、と江原さんがコメント。
→怪我や歌詞を忘れたことも災いではない。
→禍転じて福となす、怪我の功名。
→あの世は演出家。
母からのメッセージ。
→車に注意しろ、車のことが昔から心配、歌い手だから首を
とにかく痛めてはいけない、とお母さんがおっしゃっている、
と江原さん。
→細川さんは、デビュー前に事故をしている。
→怪我はあまりしなかったが、首がむちうちになった。
→お母さんは事故の印象が強烈に残っているため。
お母さんはとても苦労しているが、一度たりとも子供のことで
苦労と思ったことがない。
→子供を持ったことを今でも感謝している。
→何もしてあげられないが、心配だけはしてあげられる。
愛、と美輪さんがコメント。
→愛する人間は、やってあげることだけが幸せ。
→無償の愛、与えることが喜び。
細川さんは7人兄弟で、兄と姉は4〜5歳の頃に亡くなっている。
→姉が亡くなった次の日に細川さんが生まれた。
→お母さんは喜びと悲しみが一緒にきた。
→お母さんは今、亡くなった子供とは一緒にいる、と江原さん。
→お母さんは今は幸せにしている。
屋根の話で笑っている、と江原さんがコメント。
→家の屋根で不自由したね、とお母さんが笑っている。
→一晩で雪が80cm〜1m積もるため、毎朝、雪下ろしをしていた。
両親は農家のため、朝から晩までずっと畑作業をしていた。
→仕事や子育てなどがとても大変だったが、全く辛いと思って
いないのは見事、と美輪さんがコメント。
お母さんは、明るく朗らかな人であり、立派な母親。
→細川さんの朗らかさは母親似。
芯が強いのもお母さん譲り。
お母さんは、テレビに出たことがある。
→一番の自慢はテレビに出たこと、とおっしゃっている。
→「家族対抗歌合戦」に出たことがある。
→家族は全員テレビが好き。
家族愛に恵まれている、と美輪さん。
→歌手になり東京に出てきても自由にさせてくれた。
→いろいろと心配をかけたが、売れたとたんに親孝行できたな、
と思った。
○オーラの色
オーラの色は、シルバーと赤。
シルバーのオーラは、こだわりが強い、古風。
赤のオーラは、頑固で情熱的。
朗らかであり怒りは無いが、頑固で信念が強い。
→外柔内剛。
心配してくれる方との縁がすごくある。
→どこの地でも、支援してくれる方に恵まれる。
→全国に行ってもいい人ばかり。
言われる前に歌い、親しみやすいため、すぐに身内のように
なってしまう。
→雰囲気で歌ったらいいな、というのがわかる。
→歌うことは減るものではない。
歌うことが全然苦にならないのは、歌うために生まれてきたから、
と江原さん。
○前世
そう簡単にすぐに生まれ変わらないが、細川さんは前世とは
あまり時間が離れていない、めずらしい、と江原さん。
→歌うために前世のリベンジで生まれてきた。
前世は東北の民謡歌手。
→雪の中、津軽三味線を持ち、歌い歩いていた。
目が不自由だった。
→細川さんは、人に会うときは必ず人に触れる。
会った瞬間、本能的に握手をする。
→前世での触れて確認する習慣。
前世では檜舞台に立てなかったため、もっと自分は歌えるのに、
という思いがあり、生まれ変わったら歌手になる、という思いが
強くあった。
→細川さんは、生まれたときから歌うのが好きだった
→小さい頃、近所のおばあちゃんを集めて歌を歌っていた。
→デビュー曲がヒットしたのも運だけではない。
天性の歌い手は咽を痛めない、と美輪さんがコメント。
→50歳を過ぎるとキーが変わって下がってしまうが、天性の
歌い手はキーが変わらない。
→少し上がったくらい、と細川さん。
東北の民謡は北海道の民謡よりもこぶしが効いている。
→若いときから、こぶしは知らないうちから出来ていた。
○守護霊
守護霊は、前世と同じ東北の民謡歌手。
前世が守護霊になるのは、グループソウル(類魂)があるため。
→グループソウルとは、霊界にあるたましいの家族。
グループソウルをコップの水に例えると、コップからこぼれた
一滴の雫が前世。
→その一生が終わり、コップの中へ戻る。
→次にこぼれた一滴の雫が細川さん。
→コップの中の液体は同じであり、魂が経験したことは
忘れない。
→グループソウルは守護霊になるため、前世と守護霊が
一致することも多い。
→どんな人にもグループソウルがあるため、守護霊が
いない人はいない。
守護霊とはずっと一体、二人羽織、と江原さん。
→守護霊さんとしては、民謡を歌ってもらいたい。
補助霊は父方の祖父。
→おじいさんは尺八を吹いていた。
→孫の歌に合わせて尺八を吹きたい、という思いがある。
→細川さんは、歌うために生きている人。
普通の人は現実ばかり見ているが、細川さんは空想と現実が
交錯していて、発想の転換を図っている、と美輪さん。
→最近、歌うときに目をつぶる、と言われる。
→目が不自由だった前世そのもの。
→目をつぶると、想像を絶するくらい声が出る。
→目を開けて歌うと気が入らない。
今後は後進指導を考えること。
→声が出ている間に弟子を育てて行きたい、と前から思っている。
→守護霊さんたちも同じ思いを持っている。
○人間の寿命
寿命は自分で決めてきている、しかし、それは知らない
ほうが良い、と江原さん。
→短いから不幸、長寿だから幸せというわけではない。
100年生きても、あの世から見れば瞬きのようなもの。
→短命でも長寿でも、色々なメニューから学ぶことが大切。
死ぬことを考えることは、今日をどう生きるかを考えること、
生きることを考えることは、どうやって死んでいくかを
考えること。
→それを見つめることは大切だが、自分の寿命を思う必要はない。
宿命は青写真(設計図)、と美輪さん。
→心がけ次第で宿命は設計変更できる。
→自分の役目に気付き、やるべきことをやるための時間が
足りない場合、寿命は延びる。
→良い行いで徳を積むと、残りの人生が変わる。
→本人の心がけ次第。
死は平等に苦はない、苦しいのは肉体だけ、と江原さん。
→死は魂が肉体から離れるだけ。
→魂に苦しみはないため、死は安らか。
→肉体の見た目では判断しないほうが良い。
次回のゲストは、山本耕史さんです。