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オーラの泉 スペシャル7(2007/04/21放送)に、女優の
泉ピン子さんが出演。

○泉ピン子さんのプロフィール

泉ピン子(いずみ ぴんこ)
本名:武本小夜(たけもと さよ)
生年月日:1947年9月11日
出身地:東京都中央区
血液型:B型

1966年、歌謡漫談家としてデビュー。
1975年、「ウィークエンダー」に番組レポーターとして出演。
1983年、NHK連続テレビ小説「おしん」に出演。
1990年〜ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演。


○スピリチュアル・チェック

・性格を一言で言うと
 →真直ぐ、嘘嫌い、曲がったこと嫌い
  陰口を言うならその人の前で言う

・小さい頃なりたかった職業
 →美容師

・将来の夢
 →生涯現役

・人生の転機
 →ウィークエンダー、結婚

・座右の銘
 →春の来ない冬は無い、冬の来ない春は無い
  杉村春子の「女の一生」の中から「誰が選んだ道じゃない、
  間違いだと思ったら間違いじゃないようにしなくちゃ」


○江原さん、美輪さんとの関係

美輪さんとは10数年前にバラエティ番組でご一緒した。
→ダイアの指輪を自慢したら「ダイアは何億年も生きていて
 すごいパワーがある」と言われた。

女優になった頃から美輪さんの追っかけをしている。
→舞台「愛の讃歌」を見てものすごく感動した。


○美容師と母

小さい頃は美容師になりたかった。
→人形の頭を結うのが大好きだったため、髪結いに
 なりたかったが、父に反対された。
 →当時の母は再婚した母であり、産みの母が髪結いだったため。
  →とてもショックで、お母さんと呼べなくなった。

産みの母は、2〜3歳の頃に亡くなっていたため、思い出が無い。
→育ての母は大嫌いだった。
 →育ての母から逃げるために、自立して家を出たかった。
  →小学校高学年の頃。

性格や雰囲気は産みの母にそっくり、と江原さん。
→写真を見てびっくりした、とピン子さん。

産みの母は、ピン子さんが人生を終えたときに、話したいことが
一杯ある、とおっしゃている。
→父への恨み、父の持っている罪の意識など。

父がとても好き、とピン子さん。
→映画やミュージカルに連れて行ってもらったり、世界を
 見るように、と言われていた。
 →男らしくない部分もあったが、恨みきれない素敵な父。

お母さんも一緒、と江原さん。
→父を憎んでいたが、裏に愛情があるから。
 →相当のドラマがある。

産みの母とピン子さんは、生き写しのよう、と江原さん。
→先妻と全く同じだから、お父さんは後妻に遠慮していた。


○育ての母

育ての母とは仲が悪かったが、病気の世話を全て行い、
助けようとしていた。
→育ての母は感謝している。
 →普通だったらそこまでしない、と美輪さん。

育ての母は嫌だったようだが、死んだら仲良くして欲しい、と
前の母と同じお墓に入れた、とピン子さん。

育ての母は、ピン子さんのために自分の子供は産まなかった。
→自分の子供が可愛くなってしまうため。

育ての母と仲良くなれたのは、病気になってから。
→根底にあったのは女同士、と美輪さん。
 →それを感じたことはある、とピン子さん。
  →2人ともお父さんを大好きであり、お父さんを立てないと
   いけないため。

ある年齢にならないと理解できない、とピン子さん。
→若い頃はただの憎しみしかなく、自分が結婚してから少しずつ
 変わってきた。


○人生の転機

人生の転機は結婚。
→結婚する前の週に「徹子の部屋」に出演し「結婚なんて
 とんでもない」と話していた。
 →病院へ検査入院したとき、担当の先生に会った瞬間、
  この人と結婚する、と思った。
  →全くタイプの人ではなかった。
   →お礼の食事をし、その3ヶ月後に結婚の話をされた。

結婚をしたら主役は来ないと思ったが、結婚後は上り坂。
→週刊誌にバッシング記事を書かれたが、それは有名税、と
 美輪さん。
 →良いことがあれば、悪いこともある。

結婚は産みのお母さんの引き合せ、と江原さん。
→杉村春子さんなどもお母さんの引き合せ。
 →自分が果たせなかったことを全て与えている。


○杉村春子さん

女優の杉村春子さんには、とても可愛がられた。
→休みの日にも稽古をお願いしに行っていた。
 →芸に貪欲な人、と美輪さん。

杉村春子さんは好き嫌いが激しい人だった。
→好きな人には徹底的に良くする人。

杉村春子さんがいらっしゃっている、と江原さん。
→後継者として期待していた女優の太地喜和子さんのことが
 精神的な澱になっていたが、向こうで会えてそれが溶けたため、
 もう心配しないで、とおっしゃっている。
 →太地喜和子さんは、杉村春子さんよりも先に不慮の事故で
  亡くなっている。

太地喜和子さんは、お酒が強かった。
→マスコミが酒豪番付を発表しているが、それは恥であり
 自慢にはならない、と美輪さんがお説教したことがある。

杉村春子さんが亡くなってから、女優として骨が太くなった、と
江原さん。
→後を継いでやろうと臍が決まった、と美輪さん。
 →杉村春子さんも応援している。
  →舞台をもっとやらせたい、という思い。


○前世

前世は、フランスのシャンソン歌手。
→たくさんの苦労を重ね、歌い続けていた。
 →ピン子さんはシャンソンが大好きであり、漫談家の頃は、
  全国を巡業していた。

和のイメージが強いが洋、と江原さん。
→モダンなことが好きで、ヨーロピアンな自宅。
 →アールヌーボーが大好きなのは、前世がその時代だったから。
  →アールヌーボーとは、19世紀末〜20世紀初頭にヨーロッパで
   流行した芸術様式。

ご主人は前世でも支えてくれた人。
→ご主人の前世はパトロンだった。
 →全てを投げ出して支えてくれた。
  →今は逆に尽くさないといけない、と江原さん。

今度は日本的なものを磨いて第一人者になる、と美輪さん。
→日本舞踊のような和の動き取り入れるように、と杉村春子さんが
 おっしゃっている。
 →杉村春子さんは、人間国宝の吉村雄輝さんから指導を
  受けていた。
  →何か分からないけど鳥肌が立った、とピン子さん。
   →体で感じたんでしょう、と江原さん。


○オーラの色

テレビを通して見たオーラの色は赤だったが、今は紫のオーラが
強い、と江原さん。
→赤のオーラは情熱。
 紫のオーラは情愛。


○女優

今後の流れのためにこの3年があった、と杉村春子さんは
おっしゃっている。
→この3年は色々な葛藤があり、自分をどう磨いたら良いかという
 苦労があった。

舞台は苦手だが一所懸命するタイプなのでプレッシャーに
なっていた、とピン子さん。
→舞台は楽しめばいい、と美輪さん。
 →芝居は信用であり、自分も楽しみ、お客さんも楽しみ、
  人生の短い時間を共有すれば良い。
  →丁寧に仕事をしていけば信用が積み重なり、どん底に落ちる
   という強迫観念は無くなる。

怖がりだから、と杉村春子さんはおっしゃっている。
→ピン子さんは声帯が弱いが、怖がりで声が出なくなっている。
 →精神的なもので声は出なくなる、と美輪さん。

腰だけは大事にしてください、と江原さん。
→この2ヶ月は大変だった、とピン子さん。
 →ぎっくり腰で椅子に座れないくらいだった。
  →腰さえ問題なければ、ずっと仕事はやっていける。
   →今のうちに徹底的に治すこと、と美輪さん。
    →冷えを克服すると良い、と江原さん。
     →歩くのが一番いい、と美輪さん。
| オーラの泉/2007 | 18:03 | オーラの泉 出演者 | スピリチュアルランキング |