島田洋七さん
オーラの泉(2007/05/05放送)に、漫才師・タレントの
島田洋七さんが出演。
○島田洋七さんのプロフィール
島田洋七(しまだ ようひち)
生年月日:1950年2月10日
出身地:広島市東区
1972年、「B&B」で漫才師としてデビュー。
1983年、解散。
1987年、「振り向けば哀しくもなく」(佐賀のがばいばあちゃんの
原題)を自費出版。
2007年、がばいばあちゃんシリーズが400万部を超える
ベストセラーに。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃なりたかった職業
→野球選手
・好きな言葉
→こつこつやってもな、と思う前にこつこつやれ
・よく見る夢
→かあちゃん
・人生の転機
→駆け落ちするとき、ばあちゃんに「東へ行け」と
言われたこと
・将来の夢
→ばあちゃんとかあちゃんにもう一度会ってみたい
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは初めまして。
江原さんとも初めまして。
○母の夢
母の夢をよく見る。
→ご飯を食べたり、映画を見に行く夢。
→母の声は聞こえるが、母の姿は見えない。
→小学校〜中学校の頃の夢が多い。
→島田さんは小学2年〜高校入学までの間、母と離れ、
佐賀で祖母と暮らしていた。
母は、ばあさんに言葉がよく似ていた。
→優しい言葉の中にも厳しさを見つけろ、厳しい言葉の中にも
優しさを見つけ出せ、という言葉が印象に残っている。
→人に優しくするときは、人に気付かれないようにして
あげなさい、というばあちゃんの言葉も印象に残っている。
○父
父が亡くなったのは、2歳の頃。
→母はあまり父の話をしなかったため、定かではない。
→ばあちゃんも母も悲しい話に触れようとしなかった。
暗い話は夜するな、昼間ならたいしたことない、と言われた。
→昔の人の人生哲学。
→夜中に考えると何でも深刻になってしまう。
○家族の役割分担
最近は夫婦でも役割分担が無くなっている。
→夫婦で子供を叱ってしまう。
→普通は、叱り役と受け止め役がある。
大家族なら親に怒られても、おじいちゃんやおばあちゃんの
ところに逃げ込められる。
→子供には逃げ場が必要。
→日本が核家族になったのは失敗。
○正負の法則
お金が無かったこそ、生活の知恵や素晴らしい言葉が出てきた。
→お金があれば生活の知恵は必要なくなってしまう。
→おじいちゃんが亡くなっていなかったら、がばいばあちゃん
ではなく、普通のばあちゃんだったと思う、と島田さん。
○ばあちゃん
おばあちゃんは若い頃、きれいで品のよい人だった、と江原さん。
→おばあちゃん自身がおっしゃっている。
→好きでばあちゃんになった訳ではない。
○人生の転機
奥さんと知り合ったが、仕事をしていなかったため、両方の
親戚に反対された。
→2人で都会に行こうと考え、ばあちゃんだけに相談したら
人生1回しかないから思ったようにやってみ、と言われた。
→学歴がないから東に行けば、日当が倍違う、と言われた。
飛行機で東京に出てきたが、遊ぶだけ遊んで帰ろうか、と
2人で話していた。
→大阪の先輩に会ってから帰ろうとしたら、先輩の奥さんに
吉本の花月演芸場を見に行ったら、と言われた。
→初めて漫才を見て、15分しゃべるだけで大金を稼げるため、
漫才師になることを決めた。
○漫才ブーム
漫才ブームの頃は、月収が最高8400万円あった。
→ばあちゃんに世話になったため、お金を持って行ったら、
「お金は持ってくるものじゃない」とものすごく怒られた。
漫才ブームが終わり、暇になってきたら、5年間遊べ、と
ばあちゃんに言われた。
→売れて浮ついているため、谷も自分から降りていけ、
それからもう一回山に挑戦してみろ、と言われた。
→山の頂上は記念写真を撮ったら下りてくる場所であり、
長くいる場所ではない。
実際に7年間遊び、普通が分かった、と島田さん。
→自分を見つめ、自分を見失わないで済んだ。
→後輩が活躍していたが、ばあちゃんから、世間に見栄張るな
人を羨ましく思うな、と言われていたため、羨ましく
思わなかった。
奥さんも素晴らしかった、と江原さん。
→一度贅沢をしたらなかなか下がることはできないが、
そういう奥さんではない。
→ばあちゃんはそれを見抜いていたため、東へ行け、と
言っていた。
○お寺参り
おばあちゃんが一番に思ったのは奥さんのこと、と江原さん。
→この人なら大丈夫、と見抜いていた。
→お嫁さんと一緒にいられて助けられているのは、
おばあちゃんのお陰。
佐賀に引っ越したことを心から喜んでいる、と江原さん。
→お寺が気になる、と美輪さん。
→日曜日は毎日お寺参りをしていた、と島田さん。
→おばあちゃんは仏様との繋がりを欠かさなかった。
→それが大きな支えとお守りになっている。
→島田さんが成功したのはそのお陰。
お坊さんまで見える、と江原さん。
→お坊さんは亡くなっているが、会ったことがある人。
お坊さんは、稼いだお金をうらみで使った、とおっしゃっている。
→仕事の中で心の垢が付いていた。
→人気者になりお金を稼いでも、風邪もひくし何も変わらず、
3食以上飯は食えない、と島田さん。
○荒神様
荒神様、かまどを思い出すように、と美輪さん。
→荒神様とは、各家庭を守護するというかまどの神。
5年前に佐賀に家を建てたとき、かまどを作った、と島田さん。
→ばあちゃんと同じように、かまどでご飯を炊いて
生活しようと思った。
○お母さん
亡くなったお母さんは今ひとつ心が晴れていない、と江原さん。
→わだかまりは無いが、墓の前で一度も拝んでいない、と
島田さん。
→母の死を認めたくないため。
お母さんは自分を受け入れてもらっていない、という誤解がある、
と江原さん。
→原罪意識、と美輪さん。
→自分で子供を育てられなかった、という罪の意識。
→島田さんはお母さんが恋しかったが、お母さんもそれ以上に
恋しかった。
お母さんは今日まで憑依していた、と江原さん。
→亡くなってから、島田さんとずっと一緒にいた。
→お互いが気持ちを引っ張り合い、親離れ子離れできない
状態になっていた。
→島田さんがオーラの泉に来たのは、おばあちゃんが
お母さんと島田さんの関係を修復させて、お互いを
自立させたい気持ちがあったから。
島田洋七さんが出演。
○島田洋七さんのプロフィール
島田洋七(しまだ ようひち)
生年月日:1950年2月10日
出身地:広島市東区
1972年、「B&B」で漫才師としてデビュー。
1983年、解散。
1987年、「振り向けば哀しくもなく」(佐賀のがばいばあちゃんの
原題)を自費出版。
2007年、がばいばあちゃんシリーズが400万部を超える
ベストセラーに。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃なりたかった職業
→野球選手
・好きな言葉
→こつこつやってもな、と思う前にこつこつやれ
・よく見る夢
→かあちゃん
・人生の転機
→駆け落ちするとき、ばあちゃんに「東へ行け」と
言われたこと
・将来の夢
→ばあちゃんとかあちゃんにもう一度会ってみたい
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは初めまして。
江原さんとも初めまして。
○母の夢
母の夢をよく見る。
→ご飯を食べたり、映画を見に行く夢。
→母の声は聞こえるが、母の姿は見えない。
→小学校〜中学校の頃の夢が多い。
→島田さんは小学2年〜高校入学までの間、母と離れ、
佐賀で祖母と暮らしていた。
母は、ばあさんに言葉がよく似ていた。
→優しい言葉の中にも厳しさを見つけろ、厳しい言葉の中にも
優しさを見つけ出せ、という言葉が印象に残っている。
→人に優しくするときは、人に気付かれないようにして
あげなさい、というばあちゃんの言葉も印象に残っている。
○父
父が亡くなったのは、2歳の頃。
→母はあまり父の話をしなかったため、定かではない。
→ばあちゃんも母も悲しい話に触れようとしなかった。
暗い話は夜するな、昼間ならたいしたことない、と言われた。
→昔の人の人生哲学。
→夜中に考えると何でも深刻になってしまう。
○家族の役割分担
最近は夫婦でも役割分担が無くなっている。
→夫婦で子供を叱ってしまう。
→普通は、叱り役と受け止め役がある。
大家族なら親に怒られても、おじいちゃんやおばあちゃんの
ところに逃げ込められる。
→子供には逃げ場が必要。
→日本が核家族になったのは失敗。
○正負の法則
お金が無かったこそ、生活の知恵や素晴らしい言葉が出てきた。
→お金があれば生活の知恵は必要なくなってしまう。
→おじいちゃんが亡くなっていなかったら、がばいばあちゃん
ではなく、普通のばあちゃんだったと思う、と島田さん。
○ばあちゃん
おばあちゃんは若い頃、きれいで品のよい人だった、と江原さん。
→おばあちゃん自身がおっしゃっている。
→好きでばあちゃんになった訳ではない。
○人生の転機
奥さんと知り合ったが、仕事をしていなかったため、両方の
親戚に反対された。
→2人で都会に行こうと考え、ばあちゃんだけに相談したら
人生1回しかないから思ったようにやってみ、と言われた。
→学歴がないから東に行けば、日当が倍違う、と言われた。
飛行機で東京に出てきたが、遊ぶだけ遊んで帰ろうか、と
2人で話していた。
→大阪の先輩に会ってから帰ろうとしたら、先輩の奥さんに
吉本の花月演芸場を見に行ったら、と言われた。
→初めて漫才を見て、15分しゃべるだけで大金を稼げるため、
漫才師になることを決めた。
○漫才ブーム
漫才ブームの頃は、月収が最高8400万円あった。
→ばあちゃんに世話になったため、お金を持って行ったら、
「お金は持ってくるものじゃない」とものすごく怒られた。
漫才ブームが終わり、暇になってきたら、5年間遊べ、と
ばあちゃんに言われた。
→売れて浮ついているため、谷も自分から降りていけ、
それからもう一回山に挑戦してみろ、と言われた。
→山の頂上は記念写真を撮ったら下りてくる場所であり、
長くいる場所ではない。
実際に7年間遊び、普通が分かった、と島田さん。
→自分を見つめ、自分を見失わないで済んだ。
→後輩が活躍していたが、ばあちゃんから、世間に見栄張るな
人を羨ましく思うな、と言われていたため、羨ましく
思わなかった。
奥さんも素晴らしかった、と江原さん。
→一度贅沢をしたらなかなか下がることはできないが、
そういう奥さんではない。
→ばあちゃんはそれを見抜いていたため、東へ行け、と
言っていた。
○お寺参り
おばあちゃんが一番に思ったのは奥さんのこと、と江原さん。
→この人なら大丈夫、と見抜いていた。
→お嫁さんと一緒にいられて助けられているのは、
おばあちゃんのお陰。
佐賀に引っ越したことを心から喜んでいる、と江原さん。
→お寺が気になる、と美輪さん。
→日曜日は毎日お寺参りをしていた、と島田さん。
→おばあちゃんは仏様との繋がりを欠かさなかった。
→それが大きな支えとお守りになっている。
→島田さんが成功したのはそのお陰。
お坊さんまで見える、と江原さん。
→お坊さんは亡くなっているが、会ったことがある人。
お坊さんは、稼いだお金をうらみで使った、とおっしゃっている。
→仕事の中で心の垢が付いていた。
→人気者になりお金を稼いでも、風邪もひくし何も変わらず、
3食以上飯は食えない、と島田さん。
○荒神様
荒神様、かまどを思い出すように、と美輪さん。
→荒神様とは、各家庭を守護するというかまどの神。
5年前に佐賀に家を建てたとき、かまどを作った、と島田さん。
→ばあちゃんと同じように、かまどでご飯を炊いて
生活しようと思った。
○お母さん
亡くなったお母さんは今ひとつ心が晴れていない、と江原さん。
→わだかまりは無いが、墓の前で一度も拝んでいない、と
島田さん。
→母の死を認めたくないため。
お母さんは自分を受け入れてもらっていない、という誤解がある、
と江原さん。
→原罪意識、と美輪さん。
→自分で子供を育てられなかった、という罪の意識。
→島田さんはお母さんが恋しかったが、お母さんもそれ以上に
恋しかった。
お母さんは今日まで憑依していた、と江原さん。
→亡くなってから、島田さんとずっと一緒にいた。
→お互いが気持ちを引っ張り合い、親離れ子離れできない
状態になっていた。
→島田さんがオーラの泉に来たのは、おばあちゃんが
お母さんと島田さんの関係を修復させて、お互いを
自立させたい気持ちがあったから。