武田鉄矢さん
オーラの泉(2007/09/01放送)に、歌手、俳優、タレントの
武田鉄矢さんが出演。
○武田鉄矢さんのプロフィール
武田鉄矢(たけだ てつや)
生年月日:1949年4月11日
出身地:福岡県福岡市博多区
血液型:−
1972年、「海援隊」でデビュー。
1973年、「母に捧げるバラード」がヒット。
1977年、映画「幸福の黄色いハンカチ」に出演。
1979年、ドラマ「3年B組金八先生」に出演、主題歌「贈る言葉」が
大ヒット。
1982年、「海援隊」解散。
1991年、ドラマ「101回目のプロポーズ」に出演。
○冒頭
男らしい潔い人、と美輪さん。
→「母に捧げるバラード」は「ヨイトマケの唄」のパクリでした、
と謝られたことがある。
今夜一番聞きたいこと。
→誰かの人生の続きを生きている気がする。
誰から回された人生を生きているのか、前の人の名前、姿、
想いを知りたい。
○スピリチュアル・チェック
・性格を一言で言うと
→臆病、不安がるタイプ
・小さい頃、どんな子供
→のどかなぼんやりした少年
空を見たまま動かなくなる、菜の花畑から動かなくなる
・怖いもの
→減っていくお客
・家族の優しさ、思いやりを感じたとき
→仕事が順調でないとき、女房からかけられた言葉
一番苦労しているときの「周りをしっかり見ておこうね、
ここがどうやらどん底らしい」という言葉が胸に響いている
・人生の目標
→武田鉄矢になりきること
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんは九州から出てきた人には大きい人、と武田さん。
→九州の女は守り神。
→九州では何かあった場合に女性の指示を仰ぐ習慣がある。
江原さんとの関係は不明。
○母に捧げるバラード
1972年に「海援隊」としてデビューしたが、全く売れなかった。
→追い詰められて、適当に語るようになった。
→落ちぶれて帰ったときのために、母親のことをネタにして
その歌を詫び証文にしよう、と考えていた。
→断崖絶壁から生まれた歌「母に捧げるバラード」が
100万枚以上の大ヒットになった。
母親は歌を聞いたときに怒っていたが、歌どおりの人。
→世俗的。
ケースバイケースで生きていくんだ、という人だった。
→人がそう思うなら、その通りに嘘をついてあげる。
→無駄に真実を話して、面白くなくする必要は無い。
→人は誰でも面白い話を聞きたい。
「ヨイトマケの歌」は無言で愛情を示しているが、「母に捧げる
バラード」は、どんなに辛いときも笑い飛ばすという先人の知恵、
と美輪さん。
→九州女の強さとユーモア。
→一言一言に哲学と真理がある。
家は貧しかったが、悲惨で暗くて切ない私をどこまでおどけて
表現できるかが人生だ、と母親は言っていた。
→惨めな自分を笑い飛ばす高等技術。
○怖いもの
怖いものは、減っていくお客。
→2000人満杯だった客が毎月後ろから減っていき、最後には15人に
なったことがある。
→歌が企画物と思われ、誰も聞いてくれなくなった。
収入がなくなり、奥さんと二人で皿洗いのアルバイトをしたことが
ある。
→奥さんから「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやら
どん底らしい、もう上るだけ、もう落ちる心配しなくていいから」
という言葉が支えになった。
一度実家に帰ったら、母親は話を聞かずにお酒を燗につけていた。
→父親も呼んで突然「おめでとうございます、乾杯!」と言われた。
実家に帰る話もしたが帰ってくるな、と言われた。
→厄病神が取り付いているような顔になっているから、家族3人で
乾杯を言って大騒ぎしていれば、厄病神の取り付きがいが
なくなる、と言われた。
→人間を最後に救うのは、芝居っ気。
素晴らしい教え、と美輪さん。
→子供に対する親の教えは、そうあるべき。
→見方や視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望の道が
広く見える。
○幸福の黄色いハンカチ
東京へ戻り1〜2ヶ月で、映画「幸福の黄色いハンカチ」の仕事が
舞い込んできた。
→芝居もやったことが無いので、とても不思議だった。
→山田洋次監督からのオファー。
→「母に捧げるバラード」を聞いた監督が、台詞の作れる
子かもしれない、と思ったことがきっかけ。
→台本の台詞を若者の生々しい言葉で膨らませてくれる
才能が欲しかった。
山田洋次監督は、会ったときはとても優しかった。
→現場に入ったらとても怖かった。
→怒られて50回以上も撮り直したことがある。
○父親
父親が来ている、と江原さん。
→母親も来ているが、父親を押し出している。
→父親が日の目を見るように。
→母親は父親への愛情がものすごく強かった。
母親は愛情たっぷりの人。
→父親はいつも武田さんの陰に徹していた。
→母親はこれを機会に父親を前に出そうとしている。
○お墓
お墓は2つあるんですか?と江原さんが質問。
→福岡と故郷の熊本にある、と武田さん。
→両方のお墓を大事にしてくれている、と両親が感謝している、
と江原さん。
→息子と家系に誇りを持っている。
→母の芯の強さ、負けまいとする心のルーツがある。
○前世
本物を常に見定めようとする視点が強くある、と江原さん。
→武田さんは役者、監督、人間として本物かを常に見ている。
→苦労していた時代は特にそうだった。
前世(魂のルーツ)は、武内宿禰(たけのうちのすくね)。
→「たけしうちのすくね」とも言う。
→大和朝廷に仕えたと伝えられている伝説上の人物。
神の言葉を解読する霊能力を持っていた、と言われる。
300歳以上まで生きた、ともいわれている謎の存在。
→審神者(さにわ)。
→人に憑依した霊を見極め、その言葉を解読する霊能力者。
→見分ける、明白にさせる役柄。
武田さんの人生は、明白にするのがテーマ。
→ドラマ「3年B組 金八先生」などで社会的現象として問題提起を
したり、メッセージを送っている。
○守護霊
守護霊は、日本の武将。
→義のために生きるのが大好き。
→後に出家して僧侶になっている。
守護霊たちは、政治の道に進まなかったのは立派、とおっしゃって
いる。
→息長くやって行くために誘いを断ったのは正解。
→何度も誘いはあったが、迷いはなかった、と武田さん。
新しいことばかりを追い求めるのは止めなさい、と美輪さん。
→一つのことを極めて、練り上げる仕事もある。
今も新しい作戦を考えているが、そればかりでは消耗してしまう。
→無から有を生み出そうとする強迫観念があるが、それが自分を
追い込んでしまう、と美輪さん。
→骨が軋むほど無理はしているが、無理を強いるもう一人の
自分がいる、と武田さん。
仕込み中に開店しようとする位せっかち、と江原さん。
→暗中模索が広すぎる。
→走り続けるだけの人生は息切れしてしまう。
○人のため
守護霊たちは、今後、国のための貢献を求められる、と
おっしゃっている。
→教育に関わっていく、と江原さん。
もう自分のことを考えるのがつまらない、と武田さん。
→人のために何かをしてあげたい、という気持ちがある。
→誰かのために何かをしないと、自分が支えられなくなっている。
金八先生をやったのは人助け、と美輪さん。
→ドラマを見た人は啓蒙されたり、教わっている。
→人を助け、人の役に立っている。
武田鉄矢さんが出演。
○武田鉄矢さんのプロフィール
武田鉄矢(たけだ てつや)
生年月日:1949年4月11日
出身地:福岡県福岡市博多区
血液型:−
1972年、「海援隊」でデビュー。
1973年、「母に捧げるバラード」がヒット。
1977年、映画「幸福の黄色いハンカチ」に出演。
1979年、ドラマ「3年B組金八先生」に出演、主題歌「贈る言葉」が
大ヒット。
1982年、「海援隊」解散。
1991年、ドラマ「101回目のプロポーズ」に出演。
○冒頭
男らしい潔い人、と美輪さん。
→「母に捧げるバラード」は「ヨイトマケの唄」のパクリでした、
と謝られたことがある。
今夜一番聞きたいこと。
→誰かの人生の続きを生きている気がする。
誰から回された人生を生きているのか、前の人の名前、姿、
想いを知りたい。
○スピリチュアル・チェック
・性格を一言で言うと
→臆病、不安がるタイプ
・小さい頃、どんな子供
→のどかなぼんやりした少年
空を見たまま動かなくなる、菜の花畑から動かなくなる
・怖いもの
→減っていくお客
・家族の優しさ、思いやりを感じたとき
→仕事が順調でないとき、女房からかけられた言葉
一番苦労しているときの「周りをしっかり見ておこうね、
ここがどうやらどん底らしい」という言葉が胸に響いている
・人生の目標
→武田鉄矢になりきること
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんは九州から出てきた人には大きい人、と武田さん。
→九州の女は守り神。
→九州では何かあった場合に女性の指示を仰ぐ習慣がある。
江原さんとの関係は不明。
○母に捧げるバラード
1972年に「海援隊」としてデビューしたが、全く売れなかった。
→追い詰められて、適当に語るようになった。
→落ちぶれて帰ったときのために、母親のことをネタにして
その歌を詫び証文にしよう、と考えていた。
→断崖絶壁から生まれた歌「母に捧げるバラード」が
100万枚以上の大ヒットになった。
母親は歌を聞いたときに怒っていたが、歌どおりの人。
→世俗的。
ケースバイケースで生きていくんだ、という人だった。
→人がそう思うなら、その通りに嘘をついてあげる。
→無駄に真実を話して、面白くなくする必要は無い。
→人は誰でも面白い話を聞きたい。
「ヨイトマケの歌」は無言で愛情を示しているが、「母に捧げる
バラード」は、どんなに辛いときも笑い飛ばすという先人の知恵、
と美輪さん。
→九州女の強さとユーモア。
→一言一言に哲学と真理がある。
家は貧しかったが、悲惨で暗くて切ない私をどこまでおどけて
表現できるかが人生だ、と母親は言っていた。
→惨めな自分を笑い飛ばす高等技術。
○怖いもの
怖いものは、減っていくお客。
→2000人満杯だった客が毎月後ろから減っていき、最後には15人に
なったことがある。
→歌が企画物と思われ、誰も聞いてくれなくなった。
収入がなくなり、奥さんと二人で皿洗いのアルバイトをしたことが
ある。
→奥さんから「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやら
どん底らしい、もう上るだけ、もう落ちる心配しなくていいから」
という言葉が支えになった。
一度実家に帰ったら、母親は話を聞かずにお酒を燗につけていた。
→父親も呼んで突然「おめでとうございます、乾杯!」と言われた。
実家に帰る話もしたが帰ってくるな、と言われた。
→厄病神が取り付いているような顔になっているから、家族3人で
乾杯を言って大騒ぎしていれば、厄病神の取り付きがいが
なくなる、と言われた。
→人間を最後に救うのは、芝居っ気。
素晴らしい教え、と美輪さん。
→子供に対する親の教えは、そうあるべき。
→見方や視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望の道が
広く見える。
○幸福の黄色いハンカチ
東京へ戻り1〜2ヶ月で、映画「幸福の黄色いハンカチ」の仕事が
舞い込んできた。
→芝居もやったことが無いので、とても不思議だった。
→山田洋次監督からのオファー。
→「母に捧げるバラード」を聞いた監督が、台詞の作れる
子かもしれない、と思ったことがきっかけ。
→台本の台詞を若者の生々しい言葉で膨らませてくれる
才能が欲しかった。
山田洋次監督は、会ったときはとても優しかった。
→現場に入ったらとても怖かった。
→怒られて50回以上も撮り直したことがある。
○父親
父親が来ている、と江原さん。
→母親も来ているが、父親を押し出している。
→父親が日の目を見るように。
→母親は父親への愛情がものすごく強かった。
母親は愛情たっぷりの人。
→父親はいつも武田さんの陰に徹していた。
→母親はこれを機会に父親を前に出そうとしている。
○お墓
お墓は2つあるんですか?と江原さんが質問。
→福岡と故郷の熊本にある、と武田さん。
→両方のお墓を大事にしてくれている、と両親が感謝している、
と江原さん。
→息子と家系に誇りを持っている。
→母の芯の強さ、負けまいとする心のルーツがある。
○前世
本物を常に見定めようとする視点が強くある、と江原さん。
→武田さんは役者、監督、人間として本物かを常に見ている。
→苦労していた時代は特にそうだった。
前世(魂のルーツ)は、武内宿禰(たけのうちのすくね)。
→「たけしうちのすくね」とも言う。
→大和朝廷に仕えたと伝えられている伝説上の人物。
神の言葉を解読する霊能力を持っていた、と言われる。
300歳以上まで生きた、ともいわれている謎の存在。
→審神者(さにわ)。
→人に憑依した霊を見極め、その言葉を解読する霊能力者。
→見分ける、明白にさせる役柄。
武田さんの人生は、明白にするのがテーマ。
→ドラマ「3年B組 金八先生」などで社会的現象として問題提起を
したり、メッセージを送っている。
○守護霊
守護霊は、日本の武将。
→義のために生きるのが大好き。
→後に出家して僧侶になっている。
守護霊たちは、政治の道に進まなかったのは立派、とおっしゃって
いる。
→息長くやって行くために誘いを断ったのは正解。
→何度も誘いはあったが、迷いはなかった、と武田さん。
新しいことばかりを追い求めるのは止めなさい、と美輪さん。
→一つのことを極めて、練り上げる仕事もある。
今も新しい作戦を考えているが、そればかりでは消耗してしまう。
→無から有を生み出そうとする強迫観念があるが、それが自分を
追い込んでしまう、と美輪さん。
→骨が軋むほど無理はしているが、無理を強いるもう一人の
自分がいる、と武田さん。
仕込み中に開店しようとする位せっかち、と江原さん。
→暗中模索が広すぎる。
→走り続けるだけの人生は息切れしてしまう。
○人のため
守護霊たちは、今後、国のための貢献を求められる、と
おっしゃっている。
→教育に関わっていく、と江原さん。
もう自分のことを考えるのがつまらない、と武田さん。
→人のために何かをしてあげたい、という気持ちがある。
→誰かのために何かをしないと、自分が支えられなくなっている。
金八先生をやったのは人助け、と美輪さん。
→ドラマを見た人は啓蒙されたり、教わっている。
→人を助け、人の役に立っている。