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オーラの泉(2007/11/10放送)に、プロボクサー・WBC世界フライ級
王者の内藤大助さんが出演。

○内藤大助さんのプロフィール

内藤大助(ないとう だいすけ)
生年月日:1974年8月30日
出身地:北海道虻田郡豊浦町
血液型:A型

1996年10月、プロデビュー。
2000年2月、結婚。
2004年6月、日本王座を獲得。
2007年7月、世界王座を獲得。
2007年10月、亀田大毅選手との試合で初防衛。


○冒頭

一番聞いてみたいこと。
→ボクシングを引退した後のアドバイス。


○スピリチュアル・チェック

・性格を一言で言うと
 →心配性

・毎日欠かさずにすること
 →新聞の折り込み広告のチェック

・怖いもの
 →母親、ゴキブリ

・よく見る夢
 →自分が亡くなる夢

・元気の源
 →奥さん、子供、家族といるとき

・人生の転機
 →高校卒業後、就職先が決まったが入社式直前に内定取り消しに
  なったこと


○ボクシングを始めたきっかけ

幼い頃に両親は離婚し、母親は民宿を切り盛りしながら育てて
くれた。
→小さい頃、運動神経は良かったが体が小さかったため、中学に
 入るといじめにあった。
 →いじめに負けたくない、と思いボクシングを始めた。

クラスのリーダー的な存在のグループの一人に嫌われ、無視、
ヒソヒソ話などをされ、蹴られたこともある。
→ストレスで胃潰瘍ができた。
 →母親には相談できなかった。
  →近くにボクシングジムがあることを知り、ボクシングを
   始めたらいじめらなくなると思い、始めた。

身の上相談では、女の子でも合気道くらいやりなさいと言う、と
美輪さん。
→身を守ることができ、自分自身に自信が付く。


○プロになったきっかけ

人生の転機は、高校卒業後に就職先が決まったのに、入社式直前に
内定取り消しになったこと。
→アルバイトをしていた北海道のホテルの厨房に内定が決まって
 いた。
 →入社式直前に先輩と揉めてしまい、上司に厨房以外に変えて
  欲しいと言った。
  →上司が総支配人に相談した結果、クビになった。

母親にはあきれられた。
→一週間後には、東京で働いている兄の元に預けられた。
 →先輩に反抗していなかったら、東京にも行かず、ボクシングも
  やっていなかった。


○母親

母親はものすごく怖い。
→帰るたびに説教をされる。
 →褒められた記憶は無い。
  →プロや世界チャンピオンになっても褒められなかった。

母親はいじめに気付いていた、と江原さん。
→よろよろと帰ってきたり、しゅんとしている姿を見ていた。
 →強く育てないといけないし、生き抜くことに精一杯だったので
  あえて言わなかった。
  →内藤さんも母親に言うことでいじめを自覚するのが嫌だった。


○引退と現役続行

1996年に22歳でプロデビューし、同じ頃にジムのボクササイズに
通っていた真弓さんと出会い、2000年に結婚。

2002年、世界初挑戦の機会を得るが、チャンピオン・ポンサクレック
に34秒でKO負け。

2005年、再度王者ポンサクレックに挑むが、負傷判定負け。

このとき、負けたら引退、と決めていた。
→友達とフィリピンのセブ島に引退旅行に行った。
 →スパーリング相手のボクサーのジムを訪問し、「次の試合は
  いつやるんだ?」と聞かれた。
  →サバサバした姿がすごく印象的で、それを言われてとても
   うれしく、また一緒にボクシングをやりたいと思った。
   →日本に帰ってから考え直し、引退しなかった。

日本人は情緒的にマイナス思考、と美輪さん。
→何かあるとすぐに後ろ向きに考えてしまう。
 →日本人は情念を引きずる。

内藤さんは何事もダメから始まる、と江原さん。
→いつも「ダメだけどやってみようかな」と思っている。

元々は粘り強く、耐えることには自信がある、と江原さん。
→才能は無いが、追いつくためには人一倍コツコツとやるしかない、
 と内藤さん。
 →母親もそう教えてきた。


○オーラの色

オーラの色は赤。
→赤のオーラは情熱。
 →意外と頑固なため、くすみがある。
  →ダメになると手に負えない部分もある。


○奥さん

奥さんはあっけらかんとした人。
→ボクシングを続けるときも「あっそう」という感じだった。

それが救い、と美輪さん。
→一緒にがっかりしていたら真っ暗け。
 →奥さんの力は絶大。


○アルバイト

世界チャンピオンにならない限り、ボクシングだけでは食べて
いけなかった。
→ギリギリの生活が続いていた。
 →日本チャンピオンになっても夫婦でアルバイトをしていた。

ファイトマネーを切り崩しながら使い、それでも足りなくなると、
母親に援助してもらった。
→周りの協力なしでは今の自分は無かったので、すごく感謝を
 している。

自分の情念ではなく、周りのため人のためにやっているのが
素敵だと思う、と美輪さん。
→応援してくれる皆のためにやっている、と内藤さん。


○亀田大毅選手

2007年7月、32歳で3度目の世界挑戦で、WBC世界フライ級王座に。
2007年10月、亀田大毅選手との試合で初防衛。

試合後にテレビに出演し、コメンテーターの失礼な発言にも怒らず、
じれったいくらいに人がいい、と美輪さん。

試合中は切れる寸前で、インターバルでセコンドと話をしたとき、
セコンドは冷静で「お前がやり返したら向こうと同じになる」と
言わた。
→その言葉が響き、目が覚めた。

白井義男さん(日本人初の世界王者)は、ものすごく紳士的で、
武士道と同じレベルのボクシング、と美輪さん。
→ボクシングに格調があった。

マスメディアは必ず胴上げをする、と美輪さん。
→3回目までは胴上げをするが、4回目からは手を離す。
 →有頂天になっている最中に気を引き締めて、ブレーキを
  引いていればよかった。
  →持ち上げられたら注意すること。
   →これからが怖い、と内藤さん。


○夫婦

この2年間は地獄だった、と江原さん。
→自身の苦労、奥さんの苦労、子供を育てる苦労、生活の苦労。
 →今は地獄から華やかなステージに引き出された驚きがあり、
  戸惑っている。

今の方が怖い、と一番恐れているのは奥さん。
→苦しかった2年の方が安心だった。
 →内藤さんのことをとても心配している。

夫婦が手をつないで、迷子にならなければ大丈夫、と江原さん。
→過去に辛い経験を魂に刻んでいれば、増長、傲慢には絶対に
 ならない。


○前世

内藤さんと奥さんは、前世でも繋がりがある、と江原さん。
→内藤さんの前世は忍者。
 奥さんの前世は九ノ一(女性の忍者)。
 →忍術は武術と修験道が結びついたものであり、武道、武術、
  行者とも言える忍者。

自分が亡くなる夢をよく見るのは、いつか自分がやられる、という
忍者の心理の現れ。

一番の問題は常に身を隠そうとすること、と江原さん。
→今でもどこか身を隠したい気持ちがあり、壁際や端が好き。

奥さんの方が男っぽい性格であり、追い詰められると腹を決める。
→内藤さんはいらぬ心配を多くしていたが、奥さんと出会ってから
 よりポジティブ思考になった。


○引退後

家族もいるのでボクシングを引退した後が心配、と内藤さん。
→そのままボクシングの世界で働けばいい、と江原さん。
 →選手以外の仕事もあるので、コツコツと続ければいい。
  →マイナス思考は止めること。


○兄弟

足の調子が良くなかった時代があったはず、と江原さん。
→タイトルマッチ直前に左足の筋肉を断裂した、と内藤さん。
 →ボクシングをできる状態ではなかったが、回復は早かった。

もう一人兄弟がいたはず、と江原さん。
→流産してしまった兄弟。
 →その兄弟が助けてくれた、と江原さん。
  →亡くなった兄弟が応援していることを忘れないこと。
   →母親がいつも「頼むよ」と願っているから。

理解して頑張ることが大切。
特別に何かする必要はない、と美輪さん。
 →一人でいるときに感謝の言葉を言うのも良い。
| オーラの泉/2007 | 18:06 | オーラの泉 出演者 | スピリチュアルランキング |