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オーラの泉 スペシャル10(2007/11/24放送)に、実業家の
加藤和也さんが出演。

○加藤和也さんのプロフィール

加藤和也(かとう かずや)
生年月日:1971年8月10日
出身地:東京都
血液型:−

ひばりプロダクション、藤和エンタープライズの代表取締役社長。
美空ひばりさんの弟・かとう哲也さんの長男。
生後まもなく両親は離婚、美空ひばりさんに引き取られ、
母親がわりに。
1977年、伯母の美空ひばりさんと養子縁組。


○今夜、一番聞きたいこと

人生の節目を感じていて、不思議なことも色々とあるので、きっと
何かお袋が伝えて来ているんじゃないかと思う。
その辺をぜひお伺いしたい。


○スピリチュアル・チェック

・小さい頃、どんな子供でしたか
 →少し暗くて、本当のことは話さない子供

・よく見る夢
 →小さい頃、家族が一人ずつ消えていく夢と悪いピエロが
  いたずらをする夢を毎日見ていた

・不思議な体験
 →九死に一生を得た経験が何回もある

・奇跡を感じたこと
 →お袋が東京ドームで復活コンサートができたこと

・一つだけ願いが叶うとしたら
 →お袋に生き返って欲しい


○江原さん、美輪さんとの関係

昔から美輪さんの大ファン。
→ビデオを見たり、CDを聞いている。
 オーラの泉も毎週見ている。

江原さんとは初めまして。


○九死に一生

スピリチュアルな世界は、ある年を境にしてから不思議なことが
起こり、信じるようになった。

母が亡くなってから、趣味の車で毎晩ドライブに行っていて、
山道で運転しているときに、正面から衝突して後ろに1回、横に
4回転したが、自分も友達も誰もケガをしなかった。
→視界が一瞬明るくなり、気が付いてからしばらく自分がどこに
 いるか分からなかった。

助かることを見越した上で、わざとすることもある、と江原さん。
→これ以上危険な運転をしないように、怖いことを身に覚えさせる
 試練。
 →救ってもらったのではなく、怖い思いをさせて安全に導く。
  →悪い出来事の中には、わざと転ばされることもある。
   →ツイていないのではなく、愛情のため感謝すること。
    →「命を粗末にしてはいけない」という教育的指導。


○母・美空ひばり

母と一緒に過ごしたのは、1年のうち3日くらい。
→友達も少なかったので周りと比べることもできず、みんなこういう
 ものなんだ、と思っていた。
 →母が帰って来る2週間前から、うれしくて眠れなかった。

お母さんも孤独だった、と美輪さん。
→あんな孤独な人はいなかったと思う、と加藤さん。

遠い学校に通っていたので、近くに友達はいなかった。
→近所の知らない子と遊んでいたら、祖母・喜美枝さん
 (美空ひばりさんの母)からは、どこの子か分からない子とは
  遊んではいけない、と言われた。
 →あの時代はそれが口癖だった、と美輪さん。
  →昔は子供の遊び相手を親が選んだ。
   →当時は物騒なことが起きたので、過敏になっていた。

怖い人が玄関で暴れていたことがある、と加藤さん。
→有名税は正負の法則、と美輪さん。
 →有名になればなるほど、そのツケはものすごい。


○養子

子供の頃、母の記事が載っている雑誌を読んでいた。
→字は読めなくて意味は分からないが、おかしな内容だとは
 気付いていた。
 →周囲の大人に質問して困らせていた。

小学校1〜2年生の頃、母と祖母に呼ばれて「生みの親は別にいる」
と告げられた。
→「あなたはどうしたい」と急に聞かれ、「この家の子だから、
 お袋が生んだんじゃないなら、父親の腹から出てきたことに
 してくれればいい」と答えた。


○家族の別れ

1981年、祖母の喜美枝さんが他界。
2年後、美空ひばりさんの弟・かとう哲也さんが他界。
1986年、もう一人の弟・香山武彦さんが他界。

1987年、コンサート直後に足の痛みを訴え、美空ひばりさんは入院。
両側大腿骨骨頭壊死、肝硬変で再起絶望とも言われた重症だった。
1年の休養後、再びステージに立ち、見事な歌声を響かせた。
1989年、再入院。
1989年6月24日、永眠。

最期のときは、病院に行き、明け方近くに家に帰ろうと思い、
車に乗ったら雨が降ってきた。
→走り出そうとしたとき、ちょっと待った、となぜか思い、病室に
 戻りたくなった。
 →ナースステーションに行ったら、心電図計の音が聞こえてきた。
  →主治医が何人も走っていて、電気ショックをやっていたが、
   体が激しく上下する姿が痛々しくて見ていられないので
   「やめてください」と言っていた。

医者から「最後に何か話しておいてください」と言われたが、何を
喋っていいのか分からなかった。
→「大丈夫だよ」と一言言ったら、「ありがとう」と言われた。
 →ずっと憎まれ口をきいていたので、最後に一言喋れたのは
  それくらい。
  →優しくすると本当にいなくなってしまう気がした。

お別れが来た瞬間、一瞬悲しみが押し寄せたがなぜか「これじゃ
駄目だ」と思い、いつもよりきっちりしていた。
→残されたのは一人だから、と美輪さん。
 →お葬式の準備などを一人で全部やらなければいけないため、
  泣いている暇は無い。

持って生まれた感度が高く、一人残された身内だから呼び戻された、
と江原さん。
→自分が亡くなる時は分かるので、一人残した息子に「来て」
 という思いを伝えた。
 →美空ひばりさんの最後の想念。

江原さんは、母親が亡くなったとき、病室の隣で寝ていたが、
母の声で名前を呼ばれて起きた。
→病室に入ったときに、母親は息を引き取った。

憎まれ口ばかり聞いていたが、それが男の子としての成長だと
思っていた、と江原さん。
→仕事のことでもぶつかり合って、ケンカばかりだったが、
 ひばりさんは「ごめんね、ママは歌手なの」と言っている。
 →母というだけの存在になれなかった。
  →大変な病気をしても助かっているので、自分て何なんだ、
   という自問自答の日々もあったが、加藤さんを温かく
   見守っていた。


○前世

前世では本当の親子だった、と江原さん。
→肉親以上の愛情。
 →離れていてもお互いを感じ取り合っていた。

歌い手の情熱や神経は、一般の人に説明できない、と美輪さん。
→歌の上手さは人間業ではなく神技。

美輪さんがひばりさんに最後に会ったのは、1988年の山城新伍さんの
パーティー。
→見たら体がクラゲのように透き通って見えた。
 →旅立つ準備だった、と江原さん。


○歌と家族

ひばりさんは今もあちらで歌っている、と江原さん。
→あちらのファンが多い。
 →ひばりさんは「私の歌は終わらない」とおっしゃっている。
  →歌い手は歌いたいもの、と美輪さん。
   →魂自体が歌い手だから取ることができない、と江原さん。

他界した家族は仲が良くない、と江原さん。
→ひばりさんは向こうの世界でシャンソンも歌っているが、祖母が
 絡むと歌いたい歌が歌えないから。

ひばりさんは祖父と一緒にいる。
→祖父は一番の理解者で気が合う。
 →歌を仕込んだのは祖父。

他の家族はひばりさんと一緒にいるが、祖母だけが孤立している。


○ひばりさんの思い

ひばりさんは加藤さんに「制限はしていないので、やりたいことは
何でもやればいい、おばあちゃんの言うことは気にしないで」と
おっしゃっている。

加藤さんには目指している住む世界(自分の世界)はここではない、
という気持ちがずっとある、と美輪さん。
→魂自体はアーティスティック、と江原さん。
 →美術や建築が大好きなので、そっちに進んでもおかしくない。

ひばりさんはやりたいことをやればいい、と言っているので、
これからは自分のやりたかった芸術活動をやるべき、と美輪さん。
→それで初めて自分の世界が手に入る。
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