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オーラの泉 スペシャル10(2007/11/24放送)に、歌手・タレントの
アグネス・チャンさんが出演。

○アグネス・チャンさんのプロフィール

アグネス・チャン(Agnes Miling Kaneko Chan)
中国名:陳美齡(チャン・メイリン)
日本名:金子陳美齢(かねこ チャンメイリン)
生年月日:1955年8月20日
出身地:香港(イギリス領)
血液型:AB型

12歳の頃、ボランティア活動を始める。
14歳でスカウトされ、歌手デビュー。
1972年、来日し「ひなげしの花」で日本デビュー。
1973年、「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞。
1974年、芸能活動を休止し、カナダへ留学。
1978年、芸能活動を再開。
1985年、ボランティア活動を再開。
1986年、結婚。
1998年、日本ユニセフ協会大使に就任。
2007年、初期の乳がんを自ら発見し、摘出手術を受ける。


○今夜一番聞きたいこと

30年前に父を亡くした。
いつも結論を出すときは、父が応援してくれそうな方を選んできた。
それで本当に良かったのかを父に聞いてみたい。


○スピリチュアル・チェック

・性格を一言で言うと
 →真面目

・不思議な体験
 →学生の頃、化学のテストの前日は必ず金縛りにあった

・尊敬する人
 →マザー・テレサ

・人生の転機
 →1985年にエチオピア(難民キャンプ)に行った時

・幸運を感じたこと
 →早期に乳がんを自分で発見した時


○クリスチャン

スピリチュアルな世界に関して、自分より大きい存在の神様は
いると思う。
→クリスチャンでもあるため、歩くべき道があると信じている。


○デビューのきっかけ

デビューのきっかけはボランティア。
→当時、香港はまだ豊かではないため、難民の子や体が不自由な子が
 いたので、その子たちと接していた。
 →学校で食べ物を集めるためにグループを組んで歌っていたら、
  噂になり、14歳でスカウトされた。

17歳の頃に来日。
→1970年の大阪万博が香港でも報道され、日本に憧れていたため、
 親を説得した。

一番辛かったのはギャップ。
→香港では、世の中に苦しみがいっぱいあるから絶対笑わない子
 だった。
 →アメリカのフォーク歌手、ジョーン・バエズに憧れていた。

日本では、真剣に歌っていると怒られた。
→アイドルは笑わないといけないため。


○留学

アイドルとして人気絶頂になり、休みもなく、学校にも行けない
多忙な日々が続いた。
→父親は「娘がダメになる」と危機を感じ、アグネスさんを説得し、
 1976年に引退を発表。
 →カナダ・トロント大学へ留学。

父親は仕事を見に来て、忙し過ぎるし、周りが何でもやってくれる
ため、自分の価値が分からないダメな人間になる、と言った。
→お金や名声は流れもの、奪われるもの。
 一度頭に入った知識は奪うことはできない、という言葉に本当に
 納得して、カナダへ行った。


○父親

父親は香港に流れてきた親戚の面倒を見て、仕送りもしていた。
→家族はいつも後回しにされ、母親はすごく怒っていた。
 →父は黙って聞いていたが、大人になってみるとすごく愛しい。
  →とても優しい父親で、いつもかばってくれた。

留学から半年後、父親は死去。
→働き出してから父親と話す時間も、一緒に過ごす時間も無かった。
 →父は芸能界入りを反対していたので、もっと話しておけば
  良かった、「おとうさん一番大好き」と一度は言いたかった。

父親に性格が一番似ている、と江原さん。
→心はいつも通い合っているので、何を考えているのか全部分かる。
 →父親の最期を看取れなかったのは、二度と後悔しないで、と
  おっしゃっている。

母親からは、カナダに行かなければ父は亡くならなかった、と
言われた。
→生活環境も変わり、母がカナダに来ている間に、胆石の手術が
 失敗して父親は亡くなった。

全然関係ない、と江原さん。
→父親は家族のそれぞれの生活の目鼻立ちができたから、悔いは
 無い、とおっしゃっている。


○人生の転機

留学後、芸能界に復帰。
→1985年、「24時間テレビ」の総合司会を務め、レポーターとして
 エチオピアの難民キャンプを訪れる。
 →子供たちが次々に倒れていく、悲しい現実を目の当たりにした。

歌を歌ってあげたら、痩せていて今にも倒れそうな子供たちが
立ち上がって、踊り出した。
→そのときのかわいらしさは言葉では言い表せない。
 →子供たちに触ると病気が移る、と言われていたが、子供たちと
  抱き合ったり頬擦りしている瞬間に人生が変わったと思う。
  →幸せが一杯になった。

ある日、担当した子が亡くなり、ショックで辛くてご飯を
食べられなくなった。
→難民キャンプのスタッフの女性に「あなたがご飯を食べないと、
 私たちの面倒になるのよ」と怒られた。
 →理屈を並べたら、「理屈は誰にでも言える、少しでも子供たちに
  申し訳ない気持ちがあったら、与えられた役目を果たしなさい」
  と言われた。

情緒的に泣くことはいらない、どうやって助けるかが第一の目的、
と美輪さん。
→具体的に行動すること。

マザー・テレサも同じことを言っている、と江原さん。
→マザー・テレサとは、カトリックの修道女。
 インド・コルカタで貧しい人々を救済。
 1979年ノーベル平和賞受賞。

お父さんの心は片時も離れていない、と江原さん。
→アグネスさんの今の活動は父親の願いでもある。
 →ボランティア活動は、父の精神の延長線。
  →父親は「私の誇りだ」とおっしゃっている。


○乳がん

自分自身の理想が叶わないことで、自分を責めるのはいけない、と
江原さん。
→アグネスさんは、2006年に唾液腺腫瘍を摘出し、今年は乳がんの
 手術をしている。
 →病気の理由は「自分を責めるからだ」と父親は言っている。
  →世の中の痛みを自分の痛みとしてとらえる気持ちが強過ぎる。


○前世

前世は、カトリックのシスター。
→子供を見たりしていた。

化学の勉強をすると金縛りになるのは、前世で自然医療を施して
薬草などを使い、治療した子供の具合が悪くなってしまったから。
→間違ったらどうしよう、という気持ちが強い。
 →もう一つの理由は、頭のいいお姉さんへのコンプレックス。

元の動機は愛情なので、結果よりも動機を大切にすれば良い。
→結果を出したい、という気持ちはあるがそれはいけない。

真面目なのは結構だが、何でも四角四面に思い込む必要はない、
と美輪さん。
→泣きながら助けられるのは迷惑。
 →笑顔で助けられたら、助けられた方はありがたい。


○マザー・テレサ

尊敬する人は、マザー・テレサ。
→来日したときに、講演会にも行っている。
 →「まず自分の屋根の下から始めましょう、お父さんお母さんの
  悩みを聞いていますか、愛してると言っていますか、兄弟と
  仲良いですか、それができたら学校や社会へ広がっていく」
  という話にキュッとした。
  →世界平和を言う人に限って家の中は地獄だったりする、と
   江原さん。
   →平和は同じ地続きにある。

マザー・テレサは、日本は貧しい国、と言っている。
→食べ物ではなく心の貧しさ。
 →食べ物の無い人にはパンを与えればいいが、心の貧しさは
  もっと深刻。
  →個人では多勢に無勢のため、企業が手を組まないとダメ、
   と美輪さん。

食べ物が無い国に食べ物を持っていくと、その人は自分の食べ物が
十分でなくても、人に分けて持って行く、と江原さん。
→食べ物が無くても、分かち合う愛がある。
 →食べ物のいっぱいある国には、その愛は無い。
  →物質と引き換えに心と人間らしさを失った、と美輪さん。

マザー・テレサの最大のポイントは実践。
→純粋な思いが実践になる。

マザー・テレサの本名は、アグネス・ゴンジャ・ボワジュ、と
アグネスさん。
→名前が同じと知った瞬間、うれしくてひっくり返った。
| オーラの泉/2007 | 18:54 | オーラの泉 出演者 | スピリチュアルランキング |