間下このみさん
オーラの泉(2008/02/09放送)に、間下このみさんが出演。
○間下このみさんのプロフィール
間下このみ(ました このみ)
生年月日:1978年4月27日
出身地:東京都葛飾区
血液型:−
1983年、キッコーマンのCM「がんばれ玄さん」でブレイク。
1984年、ドラマ「スクール☆ウォーズ」に出演
1986年、バラエティ番組「所さんのただものではない!」に出演。
その後は女優、写真作家として活躍。
2004年、11歳年上の男性と結婚。
2006年、妊娠をするが6ヵ月後に死産。
2006年、再び妊娠をするが「抗リン脂質抗体症候群」という難病に
かかっていることが発覚。
2007年、長女・めのあちゃんを出産。
○スピリチュアル・チェック
・性格を一言で言うと
→意外と心配性、気が小さい
・毎日欠かさずにすること
→主人と夜に幸せを報告しあう
・海外でなぜか心惹かれる国
→エジプト、日本の江戸時代
・怖いもの
→注射
・不思議な体験
→娘を寝かせた後、誰もいない部屋でおもちゃが鳴った
・印象に残っている夢
→死産をした後、5歳くらいの男の子が頭を撫でながら
「大丈夫だよ」と言ってくれる夢を見た
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは初めまして。
江原さんとも初めまして。
○死産
妊娠後は順調に5ヶ月目の安定期に入って安心していたが、ある日
胎動を感じなくなった。
→医者へ行ったらエコーで診断し「既に亡くなっています」と
言われた。
→「何で」という思い、赤ちゃんにごめんなさいという罪悪感で
胸がいっぱいになった。
→涙が止まらなかった。
陣痛促進剤を打って、普通の出産と同じように産んだ。
→自分の子供をこの世に出してあげたい、という思いが大きかった。
→赤ちゃんの目はキラキラしていて、涙が出るよりも笑顔でいる
ことができた。
その後は落ち込んで、家の中に閉じこもっていた。
→どうして私だけ、という思いから、人を恨んでしまうことも
あった。
ある日、インターネットをしていたら「毎日、お空の赤ちゃんは
あなたのことを見ています。何とかママを喜ばせようと幸せを運んで
来ています。でも、赤ちゃんは体が小さいから小さな幸せしか
運べません。その幸せにあなたは気付いてあげてますか?」という
文章を見つけた。
→それを見た時に、泣いているのは自分のエゴだと思った。
→元気にならなくちゃ、と思えるようになった。
→主人に話したら、寝る前に小さな幸せ報告会をしよう、と
言われた。
幸せを確かめるのは本当に大事なこと、と美輪さん。
→自分は本当に幸せなのに、今の人は不平不満ばかり見ている。
→幸せを見ようともしない。
→怒る必要も無いことにイライラしている。
→数えてみれば、不幸の数以上に幸せがある。
○夢
印象に残っている夢は、5歳くらいの男の子に頭を撫でられて
「大丈夫だよ」と言われた夢。
→夢を見た後はすごく心が温かくなった。
→もしかしたら息子だったかもしれない、と信じている。
→後ほど、と江原さん。
○難病
再妊娠後、原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群」が発覚。
→血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす
病気。
→流産や死産のリスクも高まる。
→自覚症状は無い。
妊娠2ヶ月目に妊婦検診で血液検査をしたら、血小板の数が
少なかった。
→医者から詳しい検査をさせてください、と言われ、検査をしたら
「抗リン脂質抗体症候群」が見つかった。
→難病に指定されているため、原因不明で治療方法も確立されて
いない病気。
前回の時もこの病気が原因で亡くなっていたかもしれないので、
また子供を亡くしてしまうかもしれない、と思った。
→私の体のせいで生まれてこれない、という思い。
やれることをやって前に進むしかないので、病気の治療法を調べたり
して、一番良い方法を選択するように努力した。
→血液をサラサラにする注射を5ヶ月間毎日打った。
→確証もない方法だったので医者から止められたが、後悔はしたく
なかった。
注射は小さい頃から怖かった。
→テレビに注射が映るだけで、気持ち悪くなっていた。
→それでも毎日注射を打ったので、母になるのは強いと思う。
→自分でも不思議なくらい強くなっていた。
元々強い人、と美輪さん。
→常に保険のために最悪のことを考えている、と江原さん。
→最悪のことを知っていると安心、強さになる。
→だから頑張ろう、という気持ち。
→良い意味での単純さ、ポジティブ。
色々な苦難、困難があったのが見えるが切り換え上手、と江原さん。
→まわりの大人たちの言うことを素直に聞いていた。
→ずるずると引きずるのは嫌い。
本当だったら亡くなっていておかしくない、と江原さん。
→母体も危なかった。
→命をいただいた。
自分の命は全く考えていなかった、と間下さん。
→子供の命を助けたかった。
主人がいなければ乗り越えることができなかった、と間下さん。
→足に血栓ができるので毎日30分〜2時間マッサージをしてくれた。
○出産
9ヶ月目に体のことを考え、全身麻酔、帝王切開で出産。
→初めて赤ちゃんを見たときはうれしかったが、ほっとした気持ちの
方が大きかった。
→生まれて来てくれてありがとう、と伝えた。
女の人の一生は大変、と美輪さん。
→男にはその思いが分からない。
→主人は何もできない歯痒さが辛かったと思う。
普通に生まれることの幸いと奇跡、と江原さん。
→普通に産まれて当たり前だと思ってはいけない。
→育児に疲れている人は、その子がどれだけの奇跡の積み重ねで
存在しているのかを理解すること。
生きていることだけでも大変な確率、と美輪さん。
→人生相談で「私の人生は一体何だったのか」という相談がたくさん
ある。
→危険だらけ、病気だらけの世の中で生き抜くのは大変な技術。
→生きてきただけで立派。
病気イコール悪、と捉えてはいけない、と江原さん。
→病気になることもあるが、それをどうやって肥やしにしていくか。
→それを理解すると、病気の人を見る目も変わる。
明日は我が身、と美輪さん。
→病気を忌み嫌うのは、うつるのではないか、変な因縁を背負って
いるのではないか、という偏見。
→自分が病気になった場合のことを考えること。
→感情的に病気を捉えるのではなく、冷静に分析していけば、
忌み嫌う必要は無い。
○試練の意味
人生のテーマは「女の一生は大変」、と江原さん。
→女性に対する偏見と闘いたい、という部分が魂の中にある。
→偏見や差別に対する役目を持っている。
スピリチュアル・チェックの不思議な体験でおもちゃを鳴らした
存在と、夢の中の少年は同一人物、と江原さん。
→間下さんが生むことができなかった子供。
→お腹の中に入っていたが、生まれることができないことを前提で
来ている。
→間下さんの病気を伝えるため。
→死産が無ければ詳しく調べたり、医者も詳細に検査を
しなかった。
→子供は役割を果たしている。
病気から目を離してはいけない、とその子は言っている。
→きちんと薬を飲み、検査も継続すること。
→自分を管理するのも親の役割。
これからが大変、と美輪さん。
→子供を育てるのには責任がある。
悪運が強い、と美輪さん。
→もうダメだと思うと、どこかから助けが入る。
→今の子供も医者との出会いが無ければ、病気が分からなかった。
その医者の父親は、間下さんが生まれた時にいた先生だった。
→間下さんのお母さんの出産の立会いをしていた。
→その人の息子さんが間下さんの病気を発見した。
→今までの人生を思い出すと奇跡的な運の強さがたくさん
重なって今に来ている、と美輪さん。
○間下このみさんのプロフィール
間下このみ(ました このみ)
生年月日:1978年4月27日
出身地:東京都葛飾区
血液型:−
1983年、キッコーマンのCM「がんばれ玄さん」でブレイク。
1984年、ドラマ「スクール☆ウォーズ」に出演
1986年、バラエティ番組「所さんのただものではない!」に出演。
その後は女優、写真作家として活躍。
2004年、11歳年上の男性と結婚。
2006年、妊娠をするが6ヵ月後に死産。
2006年、再び妊娠をするが「抗リン脂質抗体症候群」という難病に
かかっていることが発覚。
2007年、長女・めのあちゃんを出産。
○スピリチュアル・チェック
・性格を一言で言うと
→意外と心配性、気が小さい
・毎日欠かさずにすること
→主人と夜に幸せを報告しあう
・海外でなぜか心惹かれる国
→エジプト、日本の江戸時代
・怖いもの
→注射
・不思議な体験
→娘を寝かせた後、誰もいない部屋でおもちゃが鳴った
・印象に残っている夢
→死産をした後、5歳くらいの男の子が頭を撫でながら
「大丈夫だよ」と言ってくれる夢を見た
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは初めまして。
江原さんとも初めまして。
○死産
妊娠後は順調に5ヶ月目の安定期に入って安心していたが、ある日
胎動を感じなくなった。
→医者へ行ったらエコーで診断し「既に亡くなっています」と
言われた。
→「何で」という思い、赤ちゃんにごめんなさいという罪悪感で
胸がいっぱいになった。
→涙が止まらなかった。
陣痛促進剤を打って、普通の出産と同じように産んだ。
→自分の子供をこの世に出してあげたい、という思いが大きかった。
→赤ちゃんの目はキラキラしていて、涙が出るよりも笑顔でいる
ことができた。
その後は落ち込んで、家の中に閉じこもっていた。
→どうして私だけ、という思いから、人を恨んでしまうことも
あった。
ある日、インターネットをしていたら「毎日、お空の赤ちゃんは
あなたのことを見ています。何とかママを喜ばせようと幸せを運んで
来ています。でも、赤ちゃんは体が小さいから小さな幸せしか
運べません。その幸せにあなたは気付いてあげてますか?」という
文章を見つけた。
→それを見た時に、泣いているのは自分のエゴだと思った。
→元気にならなくちゃ、と思えるようになった。
→主人に話したら、寝る前に小さな幸せ報告会をしよう、と
言われた。
幸せを確かめるのは本当に大事なこと、と美輪さん。
→自分は本当に幸せなのに、今の人は不平不満ばかり見ている。
→幸せを見ようともしない。
→怒る必要も無いことにイライラしている。
→数えてみれば、不幸の数以上に幸せがある。
○夢
印象に残っている夢は、5歳くらいの男の子に頭を撫でられて
「大丈夫だよ」と言われた夢。
→夢を見た後はすごく心が温かくなった。
→もしかしたら息子だったかもしれない、と信じている。
→後ほど、と江原さん。
○難病
再妊娠後、原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群」が発覚。
→血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす
病気。
→流産や死産のリスクも高まる。
→自覚症状は無い。
妊娠2ヶ月目に妊婦検診で血液検査をしたら、血小板の数が
少なかった。
→医者から詳しい検査をさせてください、と言われ、検査をしたら
「抗リン脂質抗体症候群」が見つかった。
→難病に指定されているため、原因不明で治療方法も確立されて
いない病気。
前回の時もこの病気が原因で亡くなっていたかもしれないので、
また子供を亡くしてしまうかもしれない、と思った。
→私の体のせいで生まれてこれない、という思い。
やれることをやって前に進むしかないので、病気の治療法を調べたり
して、一番良い方法を選択するように努力した。
→血液をサラサラにする注射を5ヶ月間毎日打った。
→確証もない方法だったので医者から止められたが、後悔はしたく
なかった。
注射は小さい頃から怖かった。
→テレビに注射が映るだけで、気持ち悪くなっていた。
→それでも毎日注射を打ったので、母になるのは強いと思う。
→自分でも不思議なくらい強くなっていた。
元々強い人、と美輪さん。
→常に保険のために最悪のことを考えている、と江原さん。
→最悪のことを知っていると安心、強さになる。
→だから頑張ろう、という気持ち。
→良い意味での単純さ、ポジティブ。
色々な苦難、困難があったのが見えるが切り換え上手、と江原さん。
→まわりの大人たちの言うことを素直に聞いていた。
→ずるずると引きずるのは嫌い。
本当だったら亡くなっていておかしくない、と江原さん。
→母体も危なかった。
→命をいただいた。
自分の命は全く考えていなかった、と間下さん。
→子供の命を助けたかった。
主人がいなければ乗り越えることができなかった、と間下さん。
→足に血栓ができるので毎日30分〜2時間マッサージをしてくれた。
○出産
9ヶ月目に体のことを考え、全身麻酔、帝王切開で出産。
→初めて赤ちゃんを見たときはうれしかったが、ほっとした気持ちの
方が大きかった。
→生まれて来てくれてありがとう、と伝えた。
女の人の一生は大変、と美輪さん。
→男にはその思いが分からない。
→主人は何もできない歯痒さが辛かったと思う。
普通に生まれることの幸いと奇跡、と江原さん。
→普通に産まれて当たり前だと思ってはいけない。
→育児に疲れている人は、その子がどれだけの奇跡の積み重ねで
存在しているのかを理解すること。
生きていることだけでも大変な確率、と美輪さん。
→人生相談で「私の人生は一体何だったのか」という相談がたくさん
ある。
→危険だらけ、病気だらけの世の中で生き抜くのは大変な技術。
→生きてきただけで立派。
病気イコール悪、と捉えてはいけない、と江原さん。
→病気になることもあるが、それをどうやって肥やしにしていくか。
→それを理解すると、病気の人を見る目も変わる。
明日は我が身、と美輪さん。
→病気を忌み嫌うのは、うつるのではないか、変な因縁を背負って
いるのではないか、という偏見。
→自分が病気になった場合のことを考えること。
→感情的に病気を捉えるのではなく、冷静に分析していけば、
忌み嫌う必要は無い。
○試練の意味
人生のテーマは「女の一生は大変」、と江原さん。
→女性に対する偏見と闘いたい、という部分が魂の中にある。
→偏見や差別に対する役目を持っている。
スピリチュアル・チェックの不思議な体験でおもちゃを鳴らした
存在と、夢の中の少年は同一人物、と江原さん。
→間下さんが生むことができなかった子供。
→お腹の中に入っていたが、生まれることができないことを前提で
来ている。
→間下さんの病気を伝えるため。
→死産が無ければ詳しく調べたり、医者も詳細に検査を
しなかった。
→子供は役割を果たしている。
病気から目を離してはいけない、とその子は言っている。
→きちんと薬を飲み、検査も継続すること。
→自分を管理するのも親の役割。
これからが大変、と美輪さん。
→子供を育てるのには責任がある。
悪運が強い、と美輪さん。
→もうダメだと思うと、どこかから助けが入る。
→今の子供も医者との出会いが無ければ、病気が分からなかった。
その医者の父親は、間下さんが生まれた時にいた先生だった。
→間下さんのお母さんの出産の立会いをしていた。
→その人の息子さんが間下さんの病気を発見した。
→今までの人生を思い出すと奇跡的な運の強さがたくさん
重なって今に来ている、と美輪さん。