西城秀樹さん
オーラの泉(2008/03/08放送)に、歌手・俳優の西城秀樹さんが
出演。
○西城秀樹さんのプロフィール
西城秀樹(さいじょう ひでき)
本名:木本龍雄(きもと たつお)
生年月日:1955年4月13日
出身地:広島県広島市
血液型:AB型
高校時代にスカウトされ、父の許しを得ないまま単身上京。
1972年、シングル「恋する季節」でデビュー。
1974年、「レコード大賞歌唱賞受賞、「紅白歌合戦」に初出場。
1979年、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が大ヒット。
1999年、父親が他界。
2001年、17歳年下のOLと結婚。
2003年、仕事先の韓国で脳梗塞を発症し倒れる。
○収録直前インタビュー
父が「結婚しろ」と生きている時は言っていたが、亡くなってから
結婚したので、申し訳ない気持ちがある。
父のことを聞いてみたい。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃なりたかった職業
→ドラムのミュージシャン
・毎日欠かさずにすること
→ウォーキングとストレッチ
・不思議な体験
→幽体離脱もどき
・人生で一番辛かったこと
→父の死
・将来の目標
→いつまでも健康で歌えること
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、会ったことはあるが話はあまりしたことがない。
→2〜3ヶ月前から急に「オーラの泉」に出演したくなった。
→そういう心境になる色々なことがあった。
江原さんとの関係は不明。
○幽体離脱
疲れて何も考えていない無の状態の時に幽体離脱が起きた。
→心臓がドキドキしているので「あれ?」と思ったら、自分の体を
見下ろしていた。
→その後、上に飛んで風を感じていた。
→「怖い」と思った瞬間、元に戻った。
24歳頃、「YOUNG MAN」が大ヒットする前に自宅で起きた現象。
→幽体離脱が始まる前、手を見たら金の汗(金粉)のようなものが
光っていた。
西城さんほどスピリチュアルな方はいない、と江原さん。
→人生を遡ると奇跡の連続。
→ものすごい強運、守られている。
○父親
父親は趣味でジャズをやっていた。
→小学校3年の頃、ジャズギターを弾いていたら、父親からジャズ
スクールに行くか、と言われ、通うことになった。
小学校の頃から、ロンドンに住むのが夢だった。
→ビートルズに憧れていたため、音楽でご飯が食べられればいい、
と思っていた。
→父親には言わなかった。
高校時代にジャズ喫茶でスカウトされ、父親に話したら反対された。
→半分家出のような形で、歌手になるために上京した。
→ヒット曲を出しても、父親は反対し続けた。
→後から分かったことだが、応援はしてくれていた。
目の中に入れても痛くないくらい愛していた、と美輪さん。
→溺愛だが溺愛にならないように自分でコントロールしていた。
→儒教(孔子の教えを中心とする思想)のような親の愛し方。
○父親の死
一番辛かったことは、父親が亡くなったこと。
→父親は晩年、認知症になっていた。
→息子ということも分からず、歌手「西城秀樹」のファンだった。
亡くなる前、初めてディナーショーに招待した。
→終わってから「秀樹、結婚しないのか?」と言われた。
→当時は結婚していなかったが、現在は結婚して子供も3人いる
ので、話がしたかった。
舞台「寺内貫太郎一家」の千秋楽の日に連絡があり、父親の危篤を
知らされた。
→すぐに実家へ帰り、最後の30分だけ一緒にいられた。
→父親は西城さんに会うために、痛み止めを打たずに待っていた。
→呼ばれたという感じがした、と西城さん。
○脳梗塞
2003年、コンサートのために訪れた韓国で、脳梗塞の一種である
「ラクナ梗塞」を発症。
→脳の深部の細い動脈が動脈硬化を起こして小さい梗塞を発生する
病気。
韓国の済州島(ちぇじゅとう)で、体調が悪くなり、知り合いの
医者に連絡したら「梗塞かもしれない」と言われた。
→うまく喋れず、平衡感覚もなく、音程も取れなかった。
→ディナーショーではキーを下げて歌ったが、公演はひどい
出来だった。
3ヵ月後には失語症に。
→頭では分かっていても言葉が出るまでに時間がかかり、言いたい
ことが言えなかった。
→その後、鬱病も発症し、このままじゃ生きていけない、と
考えるようになってしまった。
→半年後には少しずつ良くなっていたが、自分では分からなく
なり、どんどん悪くなっているのではないか、と落ち込んで
いた。
→3年後にようやく治す気力が出てきた。
リハビリ中は、リハビリを頑張っている自分が好きになった。
→今までの自分と考え方を変えていった。
→70パーセントの自分でいい、と思い、肩の力が抜けて、色々な
ことが出来るようになった。
頑張れるきっかけは家族。
→もう歌えないから引退しようと思い、奥さんに話をしたら、
「ゆっくり時間をかけて病気になったんだから、ゆっくり歩いて
治していこうよ」と言われ、焦っていたのは自分だけだと気が
付いた。
言語障害のトレーニングは、涙が出るほどだった。
→舌の筋力トレーニング、開口して正しく発音する練習、有酸素
運動などを4年続け、やっとまともになった。
リハビリでは、歌える自分を取り戻すため、箸動作練習、口唇運動
訓練、舌運動訓練、構音訓練などを行い、妻が支えてくれた。
○脳梗塞の原因
脳梗塞の原因は、結婚して長女が生まれ、「よし、頑張ろう」という
気が逆効果になったから。
→水を飲まず、サウナに入り、1ヶ月で5キロのダイエットを行った。
→脱水症状を引き金にラクナ梗塞になってしまった。
水を飲まないと怖い、と美輪さん。
→医者に水の飲み方を聞いたら「のどが渇く前に飲む」と言われた、
と西城さん。
→水を飲んでもすぐに吸収されず、1〜2時間後に吸収される。
→運動中もこまめに飲むこと。
倒れるまでの食生活は、暴飲暴食だった。
→その積み重ねも原因に。
○奥さん
西城さんが脳梗塞を発症した時、奥さんは長男を妊娠中だった。
→最初はうろたえていたが、病院に食事を作って来てくれた。
→女の人の切り替えの早さ、と美輪さん。
奥さんは痛みの分かる方、と江原さん。
→慈悲、慈愛の人。
→年齢は若いが精神的に苦労をした人。
長男が生まれた時、その日はすごく体が軽かった、と西城さん。
→体が軽く喋ることもできて、そこから頑張ったらさらに回復して
いった。
→自分に自信が付いた。
→死に対する付き合い方は、10年でも20年でも楽しく一生懸命
生きることだと感じる。
→鳥のさえずりを聞いただけで、いいなと思うになった。
子供と奥さんに対する考え方も変わった。
→病気になる前は亭主関白だった。
→今は怒らずに聞く耳を持つようになった。
→相手がなぜ怒っているのかを考えるようになった。
→人生の歩き方も変わった。
○本当の幸せ
病気を乗り越えてから、健康であることが一番うれしい。
→健康であれば何でもできると思う。
→普段は当たり前に思っていることが、当たり前じゃないことを
経験しているので、些細なことでも幸せを感じる。
黒が深いほど生成りの布でも真っ白に見える、と美輪さん。
→黒を知らない人は、白の白さが分からない。
→苦しみや挫折を知らなければ、幸せが分からない。
→本当は世の中の人は幸せだらけだが、それを見過ごしている。
○前世
今生ではスーパースターでいることが苦ではなかったと思う、と
江原さん。
→前世は中国の武将(殿様)であり、凛々しかった。
→人の上に立つことには慣れているが、庶民の思いが分からない。
ちょっとしたことが分からない、と西城さん。
→奥さんにまともなことを教えてもらっている。
→人と逆に歩んでいる。
病のメッセージは、親としての気持ち、夫としての気持ち、弱い人の
気持ちを全て学ぶこと、江原さん。
→リハビリでは、スーパースターだった人が他の患者さんと接する
のは辛いものがあるが、一患者に徹してリハビリを行っていた。
→その時の自分は一生懸命だったので好きだった、と西城さん。
○スーパースター
幽体離脱の体験は、「オペラ座の怪人」の主人公の女性のように
ある種の教育を受けているようなもの、と江原さん。
→大ヒット曲を出す前に不思議な現象が起きている。
→ブレイク前に特殊な感覚になり、何かを感じていた。
→恐怖になる場合もあり、その時は何がなんだか分からない。
→導かれたスーパースター。
日本に元気を与えてくれた、と江原さん。
→西城さんの人生は、人と共有する人生。
→そういうことが好き、元気の源、と西城さん。
→それは父親が一番望んでいた人生、と江原さん。
父親は聡明な方、と美輪さん。
→こういう風な人間になって欲しくない、ということだけを危惧
していた。
芸能界では、自分の価値観と市場価値観を混同してしまう、と
美輪さん。
→自分と自分の周りは大スターと思っているが、別の世界から見ると
何の価値も無い。
→その世界がたくさんあり、ギャップがある。
若くして有名になったスターほど勘違いしやすい。
→気が付く人と気付かない人がいるので恐ろしい。
→美輪さんはそれに気付くまでが大変だった。
生活の上でスターになりたい、と西城さん。
→人生のスーパースター。
父親も同じことを言っている、と江原さん。
→父親には商売への夢があり、負けず嫌いで陰で努力する人だった。
→教わる環境が無かったため、全て独学で勉強している。
息子には次の段階から出発させたい、と思っていた。
→別の世界に巣立って行ったので、陰で応援していたが、現実を
知っていたので反対していた。
→その時「1日でも長く自分が元気でいて、万が一戻ってきた時
でも、すぐに道が切り替えられるような準備だけしておけば
いい」と思っていた、と江原さん。
○亡き父のメッセージ
父親は結構会った、と言っている、と江原さん。
→当時は忙しかったが、本当ならもっと会えなかったはず。
→男同士はそんなに会話はいらないので、気兼ねすることなく
たまに会ったり、手紙を出したりして、認識してくれれば
良い、という感覚だった。
認知症で息子という意識は薄れていたが、西城さんの顔を見ると
記憶が甦っていた、と江原さん。
→「秀樹」と名前を呼んでくれていた。
「結婚しないのか」は魂から出た言葉、と江原さん。
→皆揃ってお墓参りに行っているので、結婚したことは伝わって
いる。
→ありえない、というほど驚いている、と江原さん。
ここで「ちょっとごめんなさい」と江原さん。
→西城さんの近くへ行き、内緒話を始める。
→内容は聞き取れず。
→プライベートなことを話した様子。
西城さんが「オーラの泉」に出演したのは、今の話が一番肝心
だから、と美輪さん。
→これから色々な展開が来るが、しっかりと自分たちのことを
考えなさい、ということ。
○父親
お子さんが芸能界に入りたい、と言ったらどうします?と江原さんが
西城さんに質問。
→普通でいて欲しいが、子供たちは芸能界が好きらしい、と
西城さん。
→変な応援はしないが「自分で頑張ってみなさい」と言うかも。
→父親と似ているのでちょっと苦しい、と西城さん。
→父親と同じ気持ちを学ばなくてはならない、と江原さん。
→子を持って知る親の恩、と美輪さん。
出演。
○西城秀樹さんのプロフィール
西城秀樹(さいじょう ひでき)
本名:木本龍雄(きもと たつお)
生年月日:1955年4月13日
出身地:広島県広島市
血液型:AB型
高校時代にスカウトされ、父の許しを得ないまま単身上京。
1972年、シングル「恋する季節」でデビュー。
1974年、「レコード大賞歌唱賞受賞、「紅白歌合戦」に初出場。
1979年、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が大ヒット。
1999年、父親が他界。
2001年、17歳年下のOLと結婚。
2003年、仕事先の韓国で脳梗塞を発症し倒れる。
○収録直前インタビュー
父が「結婚しろ」と生きている時は言っていたが、亡くなってから
結婚したので、申し訳ない気持ちがある。
父のことを聞いてみたい。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃なりたかった職業
→ドラムのミュージシャン
・毎日欠かさずにすること
→ウォーキングとストレッチ
・不思議な体験
→幽体離脱もどき
・人生で一番辛かったこと
→父の死
・将来の目標
→いつまでも健康で歌えること
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、会ったことはあるが話はあまりしたことがない。
→2〜3ヶ月前から急に「オーラの泉」に出演したくなった。
→そういう心境になる色々なことがあった。
江原さんとの関係は不明。
○幽体離脱
疲れて何も考えていない無の状態の時に幽体離脱が起きた。
→心臓がドキドキしているので「あれ?」と思ったら、自分の体を
見下ろしていた。
→その後、上に飛んで風を感じていた。
→「怖い」と思った瞬間、元に戻った。
24歳頃、「YOUNG MAN」が大ヒットする前に自宅で起きた現象。
→幽体離脱が始まる前、手を見たら金の汗(金粉)のようなものが
光っていた。
西城さんほどスピリチュアルな方はいない、と江原さん。
→人生を遡ると奇跡の連続。
→ものすごい強運、守られている。
○父親
父親は趣味でジャズをやっていた。
→小学校3年の頃、ジャズギターを弾いていたら、父親からジャズ
スクールに行くか、と言われ、通うことになった。
小学校の頃から、ロンドンに住むのが夢だった。
→ビートルズに憧れていたため、音楽でご飯が食べられればいい、
と思っていた。
→父親には言わなかった。
高校時代にジャズ喫茶でスカウトされ、父親に話したら反対された。
→半分家出のような形で、歌手になるために上京した。
→ヒット曲を出しても、父親は反対し続けた。
→後から分かったことだが、応援はしてくれていた。
目の中に入れても痛くないくらい愛していた、と美輪さん。
→溺愛だが溺愛にならないように自分でコントロールしていた。
→儒教(孔子の教えを中心とする思想)のような親の愛し方。
○父親の死
一番辛かったことは、父親が亡くなったこと。
→父親は晩年、認知症になっていた。
→息子ということも分からず、歌手「西城秀樹」のファンだった。
亡くなる前、初めてディナーショーに招待した。
→終わってから「秀樹、結婚しないのか?」と言われた。
→当時は結婚していなかったが、現在は結婚して子供も3人いる
ので、話がしたかった。
舞台「寺内貫太郎一家」の千秋楽の日に連絡があり、父親の危篤を
知らされた。
→すぐに実家へ帰り、最後の30分だけ一緒にいられた。
→父親は西城さんに会うために、痛み止めを打たずに待っていた。
→呼ばれたという感じがした、と西城さん。
○脳梗塞
2003年、コンサートのために訪れた韓国で、脳梗塞の一種である
「ラクナ梗塞」を発症。
→脳の深部の細い動脈が動脈硬化を起こして小さい梗塞を発生する
病気。
韓国の済州島(ちぇじゅとう)で、体調が悪くなり、知り合いの
医者に連絡したら「梗塞かもしれない」と言われた。
→うまく喋れず、平衡感覚もなく、音程も取れなかった。
→ディナーショーではキーを下げて歌ったが、公演はひどい
出来だった。
3ヵ月後には失語症に。
→頭では分かっていても言葉が出るまでに時間がかかり、言いたい
ことが言えなかった。
→その後、鬱病も発症し、このままじゃ生きていけない、と
考えるようになってしまった。
→半年後には少しずつ良くなっていたが、自分では分からなく
なり、どんどん悪くなっているのではないか、と落ち込んで
いた。
→3年後にようやく治す気力が出てきた。
リハビリ中は、リハビリを頑張っている自分が好きになった。
→今までの自分と考え方を変えていった。
→70パーセントの自分でいい、と思い、肩の力が抜けて、色々な
ことが出来るようになった。
頑張れるきっかけは家族。
→もう歌えないから引退しようと思い、奥さんに話をしたら、
「ゆっくり時間をかけて病気になったんだから、ゆっくり歩いて
治していこうよ」と言われ、焦っていたのは自分だけだと気が
付いた。
言語障害のトレーニングは、涙が出るほどだった。
→舌の筋力トレーニング、開口して正しく発音する練習、有酸素
運動などを4年続け、やっとまともになった。
リハビリでは、歌える自分を取り戻すため、箸動作練習、口唇運動
訓練、舌運動訓練、構音訓練などを行い、妻が支えてくれた。
○脳梗塞の原因
脳梗塞の原因は、結婚して長女が生まれ、「よし、頑張ろう」という
気が逆効果になったから。
→水を飲まず、サウナに入り、1ヶ月で5キロのダイエットを行った。
→脱水症状を引き金にラクナ梗塞になってしまった。
水を飲まないと怖い、と美輪さん。
→医者に水の飲み方を聞いたら「のどが渇く前に飲む」と言われた、
と西城さん。
→水を飲んでもすぐに吸収されず、1〜2時間後に吸収される。
→運動中もこまめに飲むこと。
倒れるまでの食生活は、暴飲暴食だった。
→その積み重ねも原因に。
○奥さん
西城さんが脳梗塞を発症した時、奥さんは長男を妊娠中だった。
→最初はうろたえていたが、病院に食事を作って来てくれた。
→女の人の切り替えの早さ、と美輪さん。
奥さんは痛みの分かる方、と江原さん。
→慈悲、慈愛の人。
→年齢は若いが精神的に苦労をした人。
長男が生まれた時、その日はすごく体が軽かった、と西城さん。
→体が軽く喋ることもできて、そこから頑張ったらさらに回復して
いった。
→自分に自信が付いた。
→死に対する付き合い方は、10年でも20年でも楽しく一生懸命
生きることだと感じる。
→鳥のさえずりを聞いただけで、いいなと思うになった。
子供と奥さんに対する考え方も変わった。
→病気になる前は亭主関白だった。
→今は怒らずに聞く耳を持つようになった。
→相手がなぜ怒っているのかを考えるようになった。
→人生の歩き方も変わった。
○本当の幸せ
病気を乗り越えてから、健康であることが一番うれしい。
→健康であれば何でもできると思う。
→普段は当たり前に思っていることが、当たり前じゃないことを
経験しているので、些細なことでも幸せを感じる。
黒が深いほど生成りの布でも真っ白に見える、と美輪さん。
→黒を知らない人は、白の白さが分からない。
→苦しみや挫折を知らなければ、幸せが分からない。
→本当は世の中の人は幸せだらけだが、それを見過ごしている。
○前世
今生ではスーパースターでいることが苦ではなかったと思う、と
江原さん。
→前世は中国の武将(殿様)であり、凛々しかった。
→人の上に立つことには慣れているが、庶民の思いが分からない。
ちょっとしたことが分からない、と西城さん。
→奥さんにまともなことを教えてもらっている。
→人と逆に歩んでいる。
病のメッセージは、親としての気持ち、夫としての気持ち、弱い人の
気持ちを全て学ぶこと、江原さん。
→リハビリでは、スーパースターだった人が他の患者さんと接する
のは辛いものがあるが、一患者に徹してリハビリを行っていた。
→その時の自分は一生懸命だったので好きだった、と西城さん。
○スーパースター
幽体離脱の体験は、「オペラ座の怪人」の主人公の女性のように
ある種の教育を受けているようなもの、と江原さん。
→大ヒット曲を出す前に不思議な現象が起きている。
→ブレイク前に特殊な感覚になり、何かを感じていた。
→恐怖になる場合もあり、その時は何がなんだか分からない。
→導かれたスーパースター。
日本に元気を与えてくれた、と江原さん。
→西城さんの人生は、人と共有する人生。
→そういうことが好き、元気の源、と西城さん。
→それは父親が一番望んでいた人生、と江原さん。
父親は聡明な方、と美輪さん。
→こういう風な人間になって欲しくない、ということだけを危惧
していた。
芸能界では、自分の価値観と市場価値観を混同してしまう、と
美輪さん。
→自分と自分の周りは大スターと思っているが、別の世界から見ると
何の価値も無い。
→その世界がたくさんあり、ギャップがある。
若くして有名になったスターほど勘違いしやすい。
→気が付く人と気付かない人がいるので恐ろしい。
→美輪さんはそれに気付くまでが大変だった。
生活の上でスターになりたい、と西城さん。
→人生のスーパースター。
父親も同じことを言っている、と江原さん。
→父親には商売への夢があり、負けず嫌いで陰で努力する人だった。
→教わる環境が無かったため、全て独学で勉強している。
息子には次の段階から出発させたい、と思っていた。
→別の世界に巣立って行ったので、陰で応援していたが、現実を
知っていたので反対していた。
→その時「1日でも長く自分が元気でいて、万が一戻ってきた時
でも、すぐに道が切り替えられるような準備だけしておけば
いい」と思っていた、と江原さん。
○亡き父のメッセージ
父親は結構会った、と言っている、と江原さん。
→当時は忙しかったが、本当ならもっと会えなかったはず。
→男同士はそんなに会話はいらないので、気兼ねすることなく
たまに会ったり、手紙を出したりして、認識してくれれば
良い、という感覚だった。
認知症で息子という意識は薄れていたが、西城さんの顔を見ると
記憶が甦っていた、と江原さん。
→「秀樹」と名前を呼んでくれていた。
「結婚しないのか」は魂から出た言葉、と江原さん。
→皆揃ってお墓参りに行っているので、結婚したことは伝わって
いる。
→ありえない、というほど驚いている、と江原さん。
ここで「ちょっとごめんなさい」と江原さん。
→西城さんの近くへ行き、内緒話を始める。
→内容は聞き取れず。
→プライベートなことを話した様子。
西城さんが「オーラの泉」に出演したのは、今の話が一番肝心
だから、と美輪さん。
→これから色々な展開が来るが、しっかりと自分たちのことを
考えなさい、ということ。
○父親
お子さんが芸能界に入りたい、と言ったらどうします?と江原さんが
西城さんに質問。
→普通でいて欲しいが、子供たちは芸能界が好きらしい、と
西城さん。
→変な応援はしないが「自分で頑張ってみなさい」と言うかも。
→父親と似ているのでちょっと苦しい、と西城さん。
→父親と同じ気持ちを学ばなくてはならない、と江原さん。
→子を持って知る親の恩、と美輪さん。