松居一代さん
オーラの泉 スペシャル(2008/04/05放送)に、女優・タレントの
松居一代さんが出演。
○松居一代さんのプロフィール
松居一代(まつい かずよ)
本名:船越一代(ふなこし かずよ)
生年月日:1957年6月25日
出身地:滋賀県近江八幡市
血液型:B型
1979年、芸能界デビュー。
1986年、青年実業家と結婚、長男を授かる。
1996年、離婚。
2001年、俳優の船越英一郎さんと再婚。
○スピリチュアル・チェック
・どんな子供だったか
→負けず嫌い
・趣味
→お掃除
・一番うれしかったこと
→息子が誕生した時
・一番辛かったこと
→船越の赤ちゃんを流産した時
・好きな言葉
→陽は昇り、陽は沈み、必ず陽は昇る
○息子のアトピー
息子は重度のアトピー性皮膚炎だった。
→血だらけでボロボロだったので、写真も撮ってあげられなかった。
→初めての言葉は「かゆい」だった。
→4年間続き、目を離せないので食事はずっと立ち食い。
→息子中心の生活。
→自分の手でこの子を良くしよう、と思った。
江原さんも重度のアトピーだった。
→小学校高学年から22歳まで続いた。
→どこの病院へ行ってもダメで、医者は「かゆみは精神を病む」と
言っていた。
原因不明のため、いろいろなことを試した、と松居さん。
→漢方薬を求めて中国まで行ったこともある。
→先生がどこにいるか分からない状態で行ったが、奇跡的に
道端で探している先生に会えた。
→その漢方薬を飲み、完治に近づいた。
思いの力が相当役に立った、と江原さん。
→全国には思い悩むほど重度のアトピーの方はたくさんいる。
○顔面麻痺
元夫の浮気が発覚して離婚。
→夫の連帯保証人になっていたため、1億7500万円の借金を抱える。
→ストレスによる顔面麻痺に。
突然、前触れも無く、顔が崩れてきた、と松居さん。
→4時間後には舌も麻痺し、呂律が回らなくなった。
→医者が検査したら原因はストレスだった。
→後遺症が残るため、テレビの仕事に復帰するのは難しい、と
言われた。
病院では、新聞の求人広告ばかりを見て、大好きな掃除ができる
家政婦の仕事を探していた。
→これなら息子を育て上げられる、と思っていた。
試練が続いてだんだん強くなっているので、今度は試練を楽しもう、
と思うようになった。
→ゲームだと思い、ある程度のことからエンジョイできた。
→何でもいらっしゃい、という気持ち。
→女の中の女、と美輪さん。
息子を背負っていたからだと思う、と松居さん。
→息子がいなかったら途中で挫折していた、と美輪さん。
→子供のために生きようとしたことが自分のためにもなった。
○欠陥マンション
新居が欠陥マンションだった。
→天井が水と一緒に落ちてきた。
→着物や洋服436点全てが目の前で一気に汚水に浸かった。
→今度は建設会社との闘いが始まった。
次の日、普通に洋服を着ていたが、人間は服と靴とカバンが1つ
ずつあれば、生きていける、と思った。
→命だけあれば、生きていける、という思い。
→天井が自分たちの上に落ちてこなくて助かった。
→服なんてどうでもいい、と思った。
物欲の人には物やお金が神様、と美輪さん。
→物は無くても、命や精神、愛の方が価値がある。
○運命の出会い
現在の夫・船越英一郎さんとの出会いは衝撃的だった。
→出会った瞬間に「夫だ」と思った。
→帰ってから息子に「とうとう出会った」と話した。
→息子は船越英一郎さんのドラマをビデオで見て、2時間
ドラマのセリフを全て覚えた。
→母として愛しくなり、絶対にお父さんにしなければ、と
思った。
相手の気持ちも分からなかったが、あらゆる手を尽くした。
→上手く部屋へ行くことができ、家具を味方につけようと思った。
→掃除をするふりをしながら、念力を植えつけた。
→イスには「他の女性が座りませんように」「座ってもすぐに
帰りたくなるように」と思いながら拭いていた。
胃袋をつかむために、近くを通りかかったふりをしてお弁当を
渡した。
→おにぎりにも念を込めていた。
○結婚
息子は「お嫁さんにもらってもらえるか、僕が聞きに行く」
「お嫁さんにしないなら、二度と行かせない」と言った。
→5年間付き合っていたが、結婚の話は避けていた。
→初めて結婚の話をしたら、船越さんは「考えさせてください」
と言った。
→今日決断をしなかったらもう会えないため、思いのたけを
語り、決断を迫った。
→船越さんは2時間半悩み、「一緒に生きていこう」と
言ってくれた。
その後、息子に「お父さんと呼んでみたら」と言ったら、息子は
「お父さんと呼んで欲しかったら証拠を持って来い」と言った。
→婚姻届、という証拠。
→しっかりしている、と美輪さん。
婚姻届と養子縁組を同じ日に行った。
→帰ってきたら、息子は「パパ」と呼んでくれた。
→船越さんは泣いていた。
今世限りの次元で物事を考えるとドラマチックだが、次元を超越
すると、何百年ぶりにやっと会えたから、振り返るとなるほど、と
思うことが出てくる、と美輪さん。
→息子と船越さんは、前世で本当の親子だった。
→船越英一郎さん参照。
心が苦しくなった時は、主人が出演した「オーラの泉」のビデオを
見て、「素晴らしいご縁をいただいたから」と思っている。
→ご褒美、と美輪さん。
→今までの辛さが苦しいほど、幸せになったときのありがたみの
感じ方が何百倍にもなる。
→苦労は後で考えるとありがたいことでもある。
○流産
一番辛かったことは、船越さんとの子供が流産してしまったこと。
→船越さんとの子供が本当に欲しくて授かったが、検診に行ったら
「心臓が動いていない」と言われた。
→立ち上がれないほどショックを受けた。
→船越さんは「自分の子供が欲しいなら、他の人と結婚して
いた。僕は君と生きて行きたい。一人、僕たちの子供が
いるじゃないか」と言ってくれた。
皆が相手のためを思った、と美輪さん。
→赤ちゃんも自分が生まれ出たら、「生さぬ仲」で色々なことが
あるから、出ないほうがいい、とみんなのためを思ってくれた。
→生さぬ仲とは、血のつながりのない親子関係。
→今から思えばそう思う、と松居さん。
今もいらっしゃる、と美輪さん。
→この世に生まれ出なかっただけ、と江原さん。
→二人の間に子供を授かったのは事実。
→今は永遠に生き続けているので、いずれは一緒に暮らす
ことができる。
→先の楽しみが出来た、と江原さん。
○お掃除
松居さんの生き方は、スピリチュアルな法則にのっとっている、と
江原さん。
→掃除一つも侮ってはいけない。
→家族を守りたかったらお掃除をすること。
→掃除はオーラマーキング。
洗濯物もちゃんと畳んでこそ、そこに思いがこもる。
→それを着ている子供は家族を裏切れない。
家族と一緒に食べることも大事。
→家族と一緒に食事しないのは、心の危険信号。
→嫌いな人が作った物は、なぜか食べられなくなる。
料理屋も一緒、と美輪さん。
→どんな一流の店でも、適当な思いで作られた料理は味付けを
しっかりしてもまずい。
米は研ぐときから愛情がこもる。
→一品でもいいから料理を作ることが大切。
どんな苦も念(思いの力)で乗り越えている、と江原さん。
→陽が沈んでいる時に諦める人が多いが、思いの力と目に見えない
ことを一所懸命していけば、必ずそれが良い形として返ってくる。
○子育て
子育ては、自分の身を削いだ分、思いが子供に宿る、と江原さん。
→子供を信じることができるのは、自分自身を込めたから。
→自分の子供が信じられないのは、込めていないから。
素晴らしいのは言霊、と江原さん。
→主人や子供を褒めている。
→決して過保護ではなく、人前でちゃんと褒めている。
今後は、家族だけでなく日本中の人にかつての大和撫子がやっていた
生活の仕方、生き方などを教え、広めるといい、と美輪さん。
→日本のためになる。
→それが夢、今決心ができた、と松居さん。
松居一代さんが出演。
○松居一代さんのプロフィール
松居一代(まつい かずよ)
本名:船越一代(ふなこし かずよ)
生年月日:1957年6月25日
出身地:滋賀県近江八幡市
血液型:B型
1979年、芸能界デビュー。
1986年、青年実業家と結婚、長男を授かる。
1996年、離婚。
2001年、俳優の船越英一郎さんと再婚。
○スピリチュアル・チェック
・どんな子供だったか
→負けず嫌い
・趣味
→お掃除
・一番うれしかったこと
→息子が誕生した時
・一番辛かったこと
→船越の赤ちゃんを流産した時
・好きな言葉
→陽は昇り、陽は沈み、必ず陽は昇る
○息子のアトピー
息子は重度のアトピー性皮膚炎だった。
→血だらけでボロボロだったので、写真も撮ってあげられなかった。
→初めての言葉は「かゆい」だった。
→4年間続き、目を離せないので食事はずっと立ち食い。
→息子中心の生活。
→自分の手でこの子を良くしよう、と思った。
江原さんも重度のアトピーだった。
→小学校高学年から22歳まで続いた。
→どこの病院へ行ってもダメで、医者は「かゆみは精神を病む」と
言っていた。
原因不明のため、いろいろなことを試した、と松居さん。
→漢方薬を求めて中国まで行ったこともある。
→先生がどこにいるか分からない状態で行ったが、奇跡的に
道端で探している先生に会えた。
→その漢方薬を飲み、完治に近づいた。
思いの力が相当役に立った、と江原さん。
→全国には思い悩むほど重度のアトピーの方はたくさんいる。
○顔面麻痺
元夫の浮気が発覚して離婚。
→夫の連帯保証人になっていたため、1億7500万円の借金を抱える。
→ストレスによる顔面麻痺に。
突然、前触れも無く、顔が崩れてきた、と松居さん。
→4時間後には舌も麻痺し、呂律が回らなくなった。
→医者が検査したら原因はストレスだった。
→後遺症が残るため、テレビの仕事に復帰するのは難しい、と
言われた。
病院では、新聞の求人広告ばかりを見て、大好きな掃除ができる
家政婦の仕事を探していた。
→これなら息子を育て上げられる、と思っていた。
試練が続いてだんだん強くなっているので、今度は試練を楽しもう、
と思うようになった。
→ゲームだと思い、ある程度のことからエンジョイできた。
→何でもいらっしゃい、という気持ち。
→女の中の女、と美輪さん。
息子を背負っていたからだと思う、と松居さん。
→息子がいなかったら途中で挫折していた、と美輪さん。
→子供のために生きようとしたことが自分のためにもなった。
○欠陥マンション
新居が欠陥マンションだった。
→天井が水と一緒に落ちてきた。
→着物や洋服436点全てが目の前で一気に汚水に浸かった。
→今度は建設会社との闘いが始まった。
次の日、普通に洋服を着ていたが、人間は服と靴とカバンが1つ
ずつあれば、生きていける、と思った。
→命だけあれば、生きていける、という思い。
→天井が自分たちの上に落ちてこなくて助かった。
→服なんてどうでもいい、と思った。
物欲の人には物やお金が神様、と美輪さん。
→物は無くても、命や精神、愛の方が価値がある。
○運命の出会い
現在の夫・船越英一郎さんとの出会いは衝撃的だった。
→出会った瞬間に「夫だ」と思った。
→帰ってから息子に「とうとう出会った」と話した。
→息子は船越英一郎さんのドラマをビデオで見て、2時間
ドラマのセリフを全て覚えた。
→母として愛しくなり、絶対にお父さんにしなければ、と
思った。
相手の気持ちも分からなかったが、あらゆる手を尽くした。
→上手く部屋へ行くことができ、家具を味方につけようと思った。
→掃除をするふりをしながら、念力を植えつけた。
→イスには「他の女性が座りませんように」「座ってもすぐに
帰りたくなるように」と思いながら拭いていた。
胃袋をつかむために、近くを通りかかったふりをしてお弁当を
渡した。
→おにぎりにも念を込めていた。
○結婚
息子は「お嫁さんにもらってもらえるか、僕が聞きに行く」
「お嫁さんにしないなら、二度と行かせない」と言った。
→5年間付き合っていたが、結婚の話は避けていた。
→初めて結婚の話をしたら、船越さんは「考えさせてください」
と言った。
→今日決断をしなかったらもう会えないため、思いのたけを
語り、決断を迫った。
→船越さんは2時間半悩み、「一緒に生きていこう」と
言ってくれた。
その後、息子に「お父さんと呼んでみたら」と言ったら、息子は
「お父さんと呼んで欲しかったら証拠を持って来い」と言った。
→婚姻届、という証拠。
→しっかりしている、と美輪さん。
婚姻届と養子縁組を同じ日に行った。
→帰ってきたら、息子は「パパ」と呼んでくれた。
→船越さんは泣いていた。
今世限りの次元で物事を考えるとドラマチックだが、次元を超越
すると、何百年ぶりにやっと会えたから、振り返るとなるほど、と
思うことが出てくる、と美輪さん。
→息子と船越さんは、前世で本当の親子だった。
→船越英一郎さん参照。
心が苦しくなった時は、主人が出演した「オーラの泉」のビデオを
見て、「素晴らしいご縁をいただいたから」と思っている。
→ご褒美、と美輪さん。
→今までの辛さが苦しいほど、幸せになったときのありがたみの
感じ方が何百倍にもなる。
→苦労は後で考えるとありがたいことでもある。
○流産
一番辛かったことは、船越さんとの子供が流産してしまったこと。
→船越さんとの子供が本当に欲しくて授かったが、検診に行ったら
「心臓が動いていない」と言われた。
→立ち上がれないほどショックを受けた。
→船越さんは「自分の子供が欲しいなら、他の人と結婚して
いた。僕は君と生きて行きたい。一人、僕たちの子供が
いるじゃないか」と言ってくれた。
皆が相手のためを思った、と美輪さん。
→赤ちゃんも自分が生まれ出たら、「生さぬ仲」で色々なことが
あるから、出ないほうがいい、とみんなのためを思ってくれた。
→生さぬ仲とは、血のつながりのない親子関係。
→今から思えばそう思う、と松居さん。
今もいらっしゃる、と美輪さん。
→この世に生まれ出なかっただけ、と江原さん。
→二人の間に子供を授かったのは事実。
→今は永遠に生き続けているので、いずれは一緒に暮らす
ことができる。
→先の楽しみが出来た、と江原さん。
○お掃除
松居さんの生き方は、スピリチュアルな法則にのっとっている、と
江原さん。
→掃除一つも侮ってはいけない。
→家族を守りたかったらお掃除をすること。
→掃除はオーラマーキング。
洗濯物もちゃんと畳んでこそ、そこに思いがこもる。
→それを着ている子供は家族を裏切れない。
家族と一緒に食べることも大事。
→家族と一緒に食事しないのは、心の危険信号。
→嫌いな人が作った物は、なぜか食べられなくなる。
料理屋も一緒、と美輪さん。
→どんな一流の店でも、適当な思いで作られた料理は味付けを
しっかりしてもまずい。
米は研ぐときから愛情がこもる。
→一品でもいいから料理を作ることが大切。
どんな苦も念(思いの力)で乗り越えている、と江原さん。
→陽が沈んでいる時に諦める人が多いが、思いの力と目に見えない
ことを一所懸命していけば、必ずそれが良い形として返ってくる。
○子育て
子育ては、自分の身を削いだ分、思いが子供に宿る、と江原さん。
→子供を信じることができるのは、自分自身を込めたから。
→自分の子供が信じられないのは、込めていないから。
素晴らしいのは言霊、と江原さん。
→主人や子供を褒めている。
→決して過保護ではなく、人前でちゃんと褒めている。
今後は、家族だけでなく日本中の人にかつての大和撫子がやっていた
生活の仕方、生き方などを教え、広めるといい、と美輪さん。
→日本のためになる。
→それが夢、今決心ができた、と松居さん。