榎木孝明さん
オーラの泉(2008/04/19放送)に、俳優の榎木孝明さんが出演。
○榎木孝明さんのプロフィール
榎木孝明(えのき たかあき)
生年月日:1956年1月5日
出身地:鹿児島県伊佐郡菱刈町
血液型:AB型
1978年、劇団四季に入団。
1984年、NHK連続テレビ小説「ロマンス」でテレビデビュー。
1990年、映画「天と地と」に主役で出演。
1993年、舞台「黒蜥蜴」で美輪明宏さんと共演。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃はどんな子供
→チャンバラ大好き
・尊敬している人
→母親
・人生の転機
→映画「天と地と」をやった時
・エネルギーに満ち溢れています、どこにいますか
→ヒマラヤ
・特技
→武術を長い間やっているので、触れると人が崩れる
・不思議な体験
→幽体離脱はたまにやっていた
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、舞台「黒蜥蜴」でお世話になったことがある。
→不思議な方、という印象。
江原さんとは、一緒に仕事をしたことがある。
○不思議な体験
幽体離脱などを体験しているが、自分ではあまり不思議と思わない。
→普通の人から見たらちょっと変わった感じがするだけ。
プラーナ、と榎木さん。
→プラーナとは、インド哲学で宇宙にみなぎる生命力としての気。
仙人は霞を食べて生きる、というのは本当だと思う。
→食べるのを止めようと思えば、何日でも平気。
→最近も3日間何も食べなかった。
映画「アダン」で、画家・中村一村の役をやるときは、15キロの
ダイエットをした。
→意識としてプラーナを食べながら、1日1食だけ食べていた。
→気を食べるイメージで行うと一番簡単。
→栄養素などの常識は、全部嘘だと思っている。
→誰かが決めたことが常識になっているだけ。
常識と真理は違う、と美輪さん。
→真理に基づいて生きていれば、常識はどうでもいい。
→人間が思ったことが常識化している、と榎木さん。
○役者人生
美術大学を目指して上京するが、在学中に演劇と出会い、劇団四季に
入団。
→25歳で「オンディーヌ」の主役に抜擢。
→父親は厳格だったので、生きていたら役者は許してもらえな
かったと思う。
母親からはいつも「お前は無限の可能性を持っているからね」と
言われていた。
→それを本当に信じられるようになったのは、30代になってから。
→ある日突然、具体化してきたから、と美輪さん。
→32歳で映画「天と地と」に出演。
○角川春樹監督との出会い
人生の転機は、映画「天と地と」に出演したこと。
→角川春樹さんが監督をしたが、最初は監督としての才能は無いと
思っていた。
→ダメ出しは「違う」だけだった。
→それが何ヶ月も続き、何が違うかは言ってくれなかった。
→奈落の底に落ちて自分の我が無くなった時にやった芝居で
初めてOKが出た。
→「俺が待っていたのはそれだ」と言われ、すごいなと
思った。
→榎木さんではなく、そこに上杉謙信がいればいい、と
美輪さん。
美輪さんとの出会いは、とても楽しかった。
→朝の挨拶は「愛してるよ」だった。
→当時はなかなか答えられなかったが、今では普通に言える。
→人類愛、と美輪さん。
言葉が重くなるのは見た目だけを愛している場合だけ、と美輪さん。
→魂や稚気溢れる純粋さをこよなく愛しければ良い。
○古武術・気功
人間には正中の理(せいちゅうのり)があるので、正中線は武術の
基本。
→真っ直ぐ立っていれば百会(脳天)から地軸に1本のラインが
できるので、多少は押されても立っていられる。
→正中線がズレると立っていられない。
→真っ直ぐ立つ方法は、踵を一度上げ下げして、両肩を上げて
ストンと落とすだけ。
→これだけで矯正されていくため、腰痛も治る。
→無理に力を入れると歪んでしまう。
古武術は生活の知恵、と美輪さん。
→昔は庶民も武士もみんな分かっていた。
○画家
独学で水彩画を学び、今では2つの美術館を開いている。
→大分県の飯田高原、北海道の美瑛町。
絵を描くのは昔から好きだった。
→旅の途中では必ず描いている。
○旅人
アジアを旅するのが好き。
→きっかけは、劇団四季を退団してからインドへ旅したこと。
なぜアジアに惹かれるのかは分からない。
→元々いらしたから帰っただけ、と江原さん。
→里帰り、と美輪さん。
インドへは、去年だけで12回言っている。
→息子と一緒に行き、遺体を流すガンジス川で息子と泳いだ。
日本人は現代だけで生きているが、インドの人たちは現代と古代
など時間を超越して生きている、と美輪さん。
→価値観が全然違う。
○ダライ・ラマ
1992年頃、プライベートで友達とインドへ行った際、ダライ・ラマと
接見。
→30分の予定だったが、2時間握手したまま話してくれた。
→過酷な運命を背負っているが、選ばれた人だと思った。
不思議な選び方をする人、と榎木さん。
→輪廻転生を信じるチベット仏教では、ダライ・ラマは生まれ変わる
と信じられ、様々な予言や予兆から生まれ変わりの子供を探し、
前世の記憶をテストして認定される。
○前世
インドは故郷のようなもの、と江原さん。
→前世はヒマラヤの行者。
→古武術や瞑想をするのは当然。
今世で日本に生まれて来たのは、現実の暮らしを学ぶため。
→里の行。
→厳しい修行(山の行)で得られたことを俗世間の暮らしの中で
活かし、深めること。
→今をいかに生きることが大事。
スピリチュアルなものを持っているが、元々はサイキックな力。
→超能力者。
→映画出演のチャンスなどに自分で持って行く人。
→無駄な心配をするとそっちの方向へ持って行かれるが、自分の
決めた道へ行く力が強い人。
○プラス思考
薩摩の映画をやりたいが、待っているより自分で仕掛けようと
思って企画している、と榎木さん。
→そういう発想になってしまう。
→何が起きてもプラス思考。
→不幸なことでも自分に何かを教えるために起きたと思う。
プラス思考は人生のコツ、と美輪さん。
→人間の持っているエネルギーはすごいことに、みんな否定的。
→最初からできない、とマイナス思考で後ろ向き。
→出来ないことを前提にして生きていると出来ない。
→マイナス思考では運は良くならない。
○水彩画
水彩画では、実際に見ているものをクリーニングして描いている、
と江原さん。
→汚れている所は美しく変えている。
→天界の絵。
今後は人を描くと良い、と江原さん。
→アジアに行くと人をたくさん描いている、と榎木さん。
→日本で描けないのは、アジアではモデルがきれいだから描いて
いて楽しいから、と江原さん。
→日本ではどうしても汚れてしまい、描く意欲が無くなる。
→絵を描いて、本当のエナジーを見せてあげれば、自分の
ピュアな所を思い起こすことができる。
→心のレントゲン。
今世では、蓮ではなく泥の方を見る勤め、と江原さん。
→ヒマラヤ行者がおっしゃっている。
○父親
今は明治維新に興味があり、映画を作りたい。
→それは父親の気持ち、と江原さん。
→家に「敬天愛人」という言葉が飾ってあった、と榎木さん。
→天を敬い人を愛する、という意味であり、西郷隆盛が好んで
使った言葉。
→明治維新の映画を作ることは、父への親孝行。
父親は自己責任を大切にする人だった。
→責任を負えるなら、役者になっても良い。
→逃げたり言い訳をするのは絶対に許さない。
これからはちょっと大変、と美輪さん。
→もっと色々なことが覚醒していく。
→やるべきことが増えてくる。
→古武道、精神的なものを通して、世直しに近いことを始める。
→時代劇を通して、確実に伝わっていくものはあると思って
いる、と榎木さん。
○榎木孝明さんのプロフィール
榎木孝明(えのき たかあき)
生年月日:1956年1月5日
出身地:鹿児島県伊佐郡菱刈町
血液型:AB型
1978年、劇団四季に入団。
1984年、NHK連続テレビ小説「ロマンス」でテレビデビュー。
1990年、映画「天と地と」に主役で出演。
1993年、舞台「黒蜥蜴」で美輪明宏さんと共演。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃はどんな子供
→チャンバラ大好き
・尊敬している人
→母親
・人生の転機
→映画「天と地と」をやった時
・エネルギーに満ち溢れています、どこにいますか
→ヒマラヤ
・特技
→武術を長い間やっているので、触れると人が崩れる
・不思議な体験
→幽体離脱はたまにやっていた
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、舞台「黒蜥蜴」でお世話になったことがある。
→不思議な方、という印象。
江原さんとは、一緒に仕事をしたことがある。
○不思議な体験
幽体離脱などを体験しているが、自分ではあまり不思議と思わない。
→普通の人から見たらちょっと変わった感じがするだけ。
プラーナ、と榎木さん。
→プラーナとは、インド哲学で宇宙にみなぎる生命力としての気。
仙人は霞を食べて生きる、というのは本当だと思う。
→食べるのを止めようと思えば、何日でも平気。
→最近も3日間何も食べなかった。
映画「アダン」で、画家・中村一村の役をやるときは、15キロの
ダイエットをした。
→意識としてプラーナを食べながら、1日1食だけ食べていた。
→気を食べるイメージで行うと一番簡単。
→栄養素などの常識は、全部嘘だと思っている。
→誰かが決めたことが常識になっているだけ。
常識と真理は違う、と美輪さん。
→真理に基づいて生きていれば、常識はどうでもいい。
→人間が思ったことが常識化している、と榎木さん。
○役者人生
美術大学を目指して上京するが、在学中に演劇と出会い、劇団四季に
入団。
→25歳で「オンディーヌ」の主役に抜擢。
→父親は厳格だったので、生きていたら役者は許してもらえな
かったと思う。
母親からはいつも「お前は無限の可能性を持っているからね」と
言われていた。
→それを本当に信じられるようになったのは、30代になってから。
→ある日突然、具体化してきたから、と美輪さん。
→32歳で映画「天と地と」に出演。
○角川春樹監督との出会い
人生の転機は、映画「天と地と」に出演したこと。
→角川春樹さんが監督をしたが、最初は監督としての才能は無いと
思っていた。
→ダメ出しは「違う」だけだった。
→それが何ヶ月も続き、何が違うかは言ってくれなかった。
→奈落の底に落ちて自分の我が無くなった時にやった芝居で
初めてOKが出た。
→「俺が待っていたのはそれだ」と言われ、すごいなと
思った。
→榎木さんではなく、そこに上杉謙信がいればいい、と
美輪さん。
美輪さんとの出会いは、とても楽しかった。
→朝の挨拶は「愛してるよ」だった。
→当時はなかなか答えられなかったが、今では普通に言える。
→人類愛、と美輪さん。
言葉が重くなるのは見た目だけを愛している場合だけ、と美輪さん。
→魂や稚気溢れる純粋さをこよなく愛しければ良い。
○古武術・気功
人間には正中の理(せいちゅうのり)があるので、正中線は武術の
基本。
→真っ直ぐ立っていれば百会(脳天)から地軸に1本のラインが
できるので、多少は押されても立っていられる。
→正中線がズレると立っていられない。
→真っ直ぐ立つ方法は、踵を一度上げ下げして、両肩を上げて
ストンと落とすだけ。
→これだけで矯正されていくため、腰痛も治る。
→無理に力を入れると歪んでしまう。
古武術は生活の知恵、と美輪さん。
→昔は庶民も武士もみんな分かっていた。
○画家
独学で水彩画を学び、今では2つの美術館を開いている。
→大分県の飯田高原、北海道の美瑛町。
絵を描くのは昔から好きだった。
→旅の途中では必ず描いている。
○旅人
アジアを旅するのが好き。
→きっかけは、劇団四季を退団してからインドへ旅したこと。
なぜアジアに惹かれるのかは分からない。
→元々いらしたから帰っただけ、と江原さん。
→里帰り、と美輪さん。
インドへは、去年だけで12回言っている。
→息子と一緒に行き、遺体を流すガンジス川で息子と泳いだ。
日本人は現代だけで生きているが、インドの人たちは現代と古代
など時間を超越して生きている、と美輪さん。
→価値観が全然違う。
○ダライ・ラマ
1992年頃、プライベートで友達とインドへ行った際、ダライ・ラマと
接見。
→30分の予定だったが、2時間握手したまま話してくれた。
→過酷な運命を背負っているが、選ばれた人だと思った。
不思議な選び方をする人、と榎木さん。
→輪廻転生を信じるチベット仏教では、ダライ・ラマは生まれ変わる
と信じられ、様々な予言や予兆から生まれ変わりの子供を探し、
前世の記憶をテストして認定される。
○前世
インドは故郷のようなもの、と江原さん。
→前世はヒマラヤの行者。
→古武術や瞑想をするのは当然。
今世で日本に生まれて来たのは、現実の暮らしを学ぶため。
→里の行。
→厳しい修行(山の行)で得られたことを俗世間の暮らしの中で
活かし、深めること。
→今をいかに生きることが大事。
スピリチュアルなものを持っているが、元々はサイキックな力。
→超能力者。
→映画出演のチャンスなどに自分で持って行く人。
→無駄な心配をするとそっちの方向へ持って行かれるが、自分の
決めた道へ行く力が強い人。
○プラス思考
薩摩の映画をやりたいが、待っているより自分で仕掛けようと
思って企画している、と榎木さん。
→そういう発想になってしまう。
→何が起きてもプラス思考。
→不幸なことでも自分に何かを教えるために起きたと思う。
プラス思考は人生のコツ、と美輪さん。
→人間の持っているエネルギーはすごいことに、みんな否定的。
→最初からできない、とマイナス思考で後ろ向き。
→出来ないことを前提にして生きていると出来ない。
→マイナス思考では運は良くならない。
○水彩画
水彩画では、実際に見ているものをクリーニングして描いている、
と江原さん。
→汚れている所は美しく変えている。
→天界の絵。
今後は人を描くと良い、と江原さん。
→アジアに行くと人をたくさん描いている、と榎木さん。
→日本で描けないのは、アジアではモデルがきれいだから描いて
いて楽しいから、と江原さん。
→日本ではどうしても汚れてしまい、描く意欲が無くなる。
→絵を描いて、本当のエナジーを見せてあげれば、自分の
ピュアな所を思い起こすことができる。
→心のレントゲン。
今世では、蓮ではなく泥の方を見る勤め、と江原さん。
→ヒマラヤ行者がおっしゃっている。
○父親
今は明治維新に興味があり、映画を作りたい。
→それは父親の気持ち、と江原さん。
→家に「敬天愛人」という言葉が飾ってあった、と榎木さん。
→天を敬い人を愛する、という意味であり、西郷隆盛が好んで
使った言葉。
→明治維新の映画を作ることは、父への親孝行。
父親は自己責任を大切にする人だった。
→責任を負えるなら、役者になっても良い。
→逃げたり言い訳をするのは絶対に許さない。
これからはちょっと大変、と美輪さん。
→もっと色々なことが覚醒していく。
→やるべきことが増えてくる。
→古武道、精神的なものを通して、世直しに近いことを始める。
→時代劇を通して、確実に伝わっていくものはあると思って
いる、と榎木さん。