林家正蔵さん
オーラの泉 亡き人を偲ぶスペシャル(2008/08/16放送)に、
落語家の九代目 林家正蔵さんが出演。
○林家正蔵さんのプロフィール
林家正蔵(はやしや しょうぞう)
本名:海老名泰孝(えびな やすたか)
生年月日:1962年12月1日
出身地:東京都台東区根岸
血液型:A型
父親は落語家であり昭和の爆笑王・林家三平さん。
1978年、三平さんに弟子入り。
1988年、真打に昇進。
2005年、九代目 林家正蔵を襲名。
○江原さん、美輪さんとの関係
父親の林家三平さんは、美輪さんのライブハウス「銀巴里」に
よく訪れていた。
→とても芸熱心な方だった、と美輪さん。
○父親
父親は有名人のため、子供の頃はよくからかわれた。
→ある日、母親に「父ちゃんは落語家を辞めちゃえばいい」と
言ったことがある。
→母親に初めて殴られ、笑われているんじゃない、笑わせて
いるんだ、と言われた。
→その日の夜中に起こされて、父親の勉強部屋に連れて
行かれた。
→中を覗いたら、原稿用紙の前で明日のネタを必死に
考えていた。
→普段の父親の顔とは違っていた。
真面目な姿を見せると商売にならない、と美輪さん。
→真面目なところを見せると、客がしらけてしまう。
→日常生活から自分をどう見せるか、全て計算していた。
林家三平さんは、古典落語のタブー(立ち上がってはいけない、
音楽の演奏者が見えてはいけない、客いじりをしてはいけない)を
全て無視した。
→多くの批判もあった。
→どの世界でも開拓者を潰そうとする人がいる、と美輪さん。
→ほとんどは劣等感のため、気にする必要はない。
○弟子入り
父親には、落語家になりなさい、と言われたことが無い。
→弟(林家いっ平さん)は、そう言われて育った。
→落語家になったきっかけは、15歳の頃に祖母から落語家を
勧められたこと。
→昔は15歳で元服し、一生の仕事を決める時期のため。
→祖母を喜ばせるために落語家になった。
1978年、15歳で父親に弟子入りし、林家こぶ平に。
→優しい父親から、厳しい師匠に変わった。
→親子関係は全く無くなり、弟子の中でも一番殴られた。
→一番愛している人には一番立派になって欲しい、と美輪さん。
→どうでもいい人には厳しくしない。
三平さんは正蔵さんをかわいそうに思っていた、と江原さん。
→三平さんは本当は傷付きやすい人。
→繊細な人であり、陰口や批評を気にしていた。
→正蔵さんが傷付いていたことも知っていた。
→厳しく接していたのは、他の弟子からかわいがって
もらうため、と美輪さん。
→優しくしたら、弟子が邪険になる。
→全て計算していた。
師弟関係は2年間、指導を受けたのは、わずか9ヶ月だった。
→1979年、三平さんは脳内出血で入院。
→右半身不随と言語障害があり、噺家にとって致命的な病。
→同年、懸命なリハビリの結果、高座に復帰。
→1980年、肝臓がんで入院。
→2日後に他界。
運命や神様に文句を言いたいのは、父親は一度言葉を奪われている
こと、と正蔵さん。
→辛いリハビリ生活をして復活したにも関わらず、翌年に肝臓がんで
他界。
○三平さんの前世
三平さんの前世は、西洋人のコメディアン。
→今の姿は、燕尾服を着てシルクハットを被っている、と江原さん。
本当は落語家にはなりたくなく、ミュージカルやコメディアンを
やりたかった。
→三平さんは前座時代にバンドの付き人をしていた。
→音楽やコメディ、シャンソン、ジャズなどが好きだった。
フランスが大好きだった、と正蔵さん。
→亡くなる前にフランスに旅行している。
○襲名
三平を襲名するとみんなが思っていたのに、なぜ正蔵を襲名した
のかを聞きたい、と正蔵さん。
→弟の林家いっ平さんが林家三平を襲名予定。
三平さんは才能のある方だが、正統的な落語ができなかった、
という思いがある、と江原さん。
→本当はもっと古典落語を勉強したかった。
→それを全て、正蔵さんに委ねている。
→正蔵さんには古典落語が合っている、とおっしゃっている、
と江原さん。
→地道にコツコツとやる資質があるため。
「心から笑っているか?」と三平さんはおっしゃっている、と
江原さん。
→立場が重くなると笑えることが少なくなるから、無理して
笑えることをたくさんすること。
→笑える毎日にしなければいけない。
筋のいい話をするだけでなく、笑える落語をするべき、と自分の
中でそう思っていた、と正蔵さん。
→その言葉が胸のど真ん中に当たる。
父親は客を爆笑させていたが、同じ笑いじゃなくていい。
→クスッと笑わせること。
→真面目におかしなことをする、という笑いを取っていくこと。
師匠の笑いを意識してはいけない、と美輪さん。
→自分の笑いを作っていくこと。
→何かを真似ていくことが全てではない。
名前は記号に過ぎない、と美輪さん。
→人間そのものが変わる訳ではない。
→自分の資質で勝負すること。
→芸を高めることに専念すれば良い。
実直で真面目だと視野が狭くなるため、オーラの泉に呼ばれた、と
江原さん。
→偶然ではなく必然。
○家族のトラブル
正蔵になってから、家族の中でトラブルがけっこう起きる、と
正蔵さん。
→必然もあるが、原因があって結果が出ている、と江原さん。
→災いのようにやって来る不幸はなく、その種まきをしている
から。
→色々と起きる問題は全て勉強。
間違えてはいけないのは、何でも手出しして助けることが善では
無い、と江原さん。
→手を差し伸べることがその人にとって邪魔になることもあるため、
突き放す時は突き放すこと。
→本当に必要な時に手を差し伸べること。
→考えすぎないこと、と江原さん。
落語家の九代目 林家正蔵さんが出演。
○林家正蔵さんのプロフィール
林家正蔵(はやしや しょうぞう)
本名:海老名泰孝(えびな やすたか)
生年月日:1962年12月1日
出身地:東京都台東区根岸
血液型:A型
父親は落語家であり昭和の爆笑王・林家三平さん。
1978年、三平さんに弟子入り。
1988年、真打に昇進。
2005年、九代目 林家正蔵を襲名。
○江原さん、美輪さんとの関係
父親の林家三平さんは、美輪さんのライブハウス「銀巴里」に
よく訪れていた。
→とても芸熱心な方だった、と美輪さん。
○父親
父親は有名人のため、子供の頃はよくからかわれた。
→ある日、母親に「父ちゃんは落語家を辞めちゃえばいい」と
言ったことがある。
→母親に初めて殴られ、笑われているんじゃない、笑わせて
いるんだ、と言われた。
→その日の夜中に起こされて、父親の勉強部屋に連れて
行かれた。
→中を覗いたら、原稿用紙の前で明日のネタを必死に
考えていた。
→普段の父親の顔とは違っていた。
真面目な姿を見せると商売にならない、と美輪さん。
→真面目なところを見せると、客がしらけてしまう。
→日常生活から自分をどう見せるか、全て計算していた。
林家三平さんは、古典落語のタブー(立ち上がってはいけない、
音楽の演奏者が見えてはいけない、客いじりをしてはいけない)を
全て無視した。
→多くの批判もあった。
→どの世界でも開拓者を潰そうとする人がいる、と美輪さん。
→ほとんどは劣等感のため、気にする必要はない。
○弟子入り
父親には、落語家になりなさい、と言われたことが無い。
→弟(林家いっ平さん)は、そう言われて育った。
→落語家になったきっかけは、15歳の頃に祖母から落語家を
勧められたこと。
→昔は15歳で元服し、一生の仕事を決める時期のため。
→祖母を喜ばせるために落語家になった。
1978年、15歳で父親に弟子入りし、林家こぶ平に。
→優しい父親から、厳しい師匠に変わった。
→親子関係は全く無くなり、弟子の中でも一番殴られた。
→一番愛している人には一番立派になって欲しい、と美輪さん。
→どうでもいい人には厳しくしない。
三平さんは正蔵さんをかわいそうに思っていた、と江原さん。
→三平さんは本当は傷付きやすい人。
→繊細な人であり、陰口や批評を気にしていた。
→正蔵さんが傷付いていたことも知っていた。
→厳しく接していたのは、他の弟子からかわいがって
もらうため、と美輪さん。
→優しくしたら、弟子が邪険になる。
→全て計算していた。
師弟関係は2年間、指導を受けたのは、わずか9ヶ月だった。
→1979年、三平さんは脳内出血で入院。
→右半身不随と言語障害があり、噺家にとって致命的な病。
→同年、懸命なリハビリの結果、高座に復帰。
→1980年、肝臓がんで入院。
→2日後に他界。
運命や神様に文句を言いたいのは、父親は一度言葉を奪われている
こと、と正蔵さん。
→辛いリハビリ生活をして復活したにも関わらず、翌年に肝臓がんで
他界。
○三平さんの前世
三平さんの前世は、西洋人のコメディアン。
→今の姿は、燕尾服を着てシルクハットを被っている、と江原さん。
本当は落語家にはなりたくなく、ミュージカルやコメディアンを
やりたかった。
→三平さんは前座時代にバンドの付き人をしていた。
→音楽やコメディ、シャンソン、ジャズなどが好きだった。
フランスが大好きだった、と正蔵さん。
→亡くなる前にフランスに旅行している。
○襲名
三平を襲名するとみんなが思っていたのに、なぜ正蔵を襲名した
のかを聞きたい、と正蔵さん。
→弟の林家いっ平さんが林家三平を襲名予定。
三平さんは才能のある方だが、正統的な落語ができなかった、
という思いがある、と江原さん。
→本当はもっと古典落語を勉強したかった。
→それを全て、正蔵さんに委ねている。
→正蔵さんには古典落語が合っている、とおっしゃっている、
と江原さん。
→地道にコツコツとやる資質があるため。
「心から笑っているか?」と三平さんはおっしゃっている、と
江原さん。
→立場が重くなると笑えることが少なくなるから、無理して
笑えることをたくさんすること。
→笑える毎日にしなければいけない。
筋のいい話をするだけでなく、笑える落語をするべき、と自分の
中でそう思っていた、と正蔵さん。
→その言葉が胸のど真ん中に当たる。
父親は客を爆笑させていたが、同じ笑いじゃなくていい。
→クスッと笑わせること。
→真面目におかしなことをする、という笑いを取っていくこと。
師匠の笑いを意識してはいけない、と美輪さん。
→自分の笑いを作っていくこと。
→何かを真似ていくことが全てではない。
名前は記号に過ぎない、と美輪さん。
→人間そのものが変わる訳ではない。
→自分の資質で勝負すること。
→芸を高めることに専念すれば良い。
実直で真面目だと視野が狭くなるため、オーラの泉に呼ばれた、と
江原さん。
→偶然ではなく必然。
○家族のトラブル
正蔵になってから、家族の中でトラブルがけっこう起きる、と
正蔵さん。
→必然もあるが、原因があって結果が出ている、と江原さん。
→災いのようにやって来る不幸はなく、その種まきをしている
から。
→色々と起きる問題は全て勉強。
間違えてはいけないのは、何でも手出しして助けることが善では
無い、と江原さん。
→手を差し伸べることがその人にとって邪魔になることもあるため、
突き放す時は突き放すこと。
→本当に必要な時に手を差し伸べること。
→考えすぎないこと、と江原さん。