加藤茶さん
オーラの泉 亡き人を偲ぶスペシャル(2008/08/16放送)に、
コメディアンの加藤茶さんが出演。
○加藤茶さんのプロフィール
加藤茶(かとう ちゃ)
本名:加藤英文(かとう ひでゆき)
生年月日:1943年3月1日
出身地:愛媛県新居浜市
血液型:A型
1962年、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーに。
1964年、ギャグ「加トちゃんぺ」でブレイク。
1969年、「8時だョ!全員集合」に出演。
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、クイズ番組「赤っ恥」で一緒になったことがある。
江原さんとは、番組で一度お会いしたことがある。
→自分しか知らないことを言われて舞い上がった。
→母親に訪問着を買ってあげたこと。
→放送されなかったが、母親からの心臓と循環器に注意、と
いうメッセージもあった。
→2006年、加藤さんは大動脈解離で入院。
○ザ・ドリフターズ
17歳でバンドマンを目指し、音楽の道へ。
→19歳でいかりや長介さんと出会い、お笑いの道へ。
いかりやさんとは、新宿のバンドが集まる店で初めて会った。
→話が面白く、とてもファンキーな人だった。
→笑いに対してストイックであり、その時は大好きだった。
→この人とならお笑いができると思った。
ドリフターズの前身バンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に、
いかりや長介さんとメンバー入り。
→約15人のメンバーがいた。
→当時、笑いには興味が無く、ドラム一本で食べて行こうと、
思っていた。
→メンバーがやっているお笑いをみて、やってみたくなった。
当時は「ハナ肇とクレイジーキャッツ」がウケていた。
→本格的に音楽コントをやりたくなり、ドリフターズは分裂。
→加藤さんは「ドンキーカルテット」に入り、いかりやさんは
ドリフターズに残る予定だった。
→いかりやさんは加藤さんに目を付け、説得された。
→電車での移動中の6時間、ずっと説得された。
→その後もずっと説得された。
→根負けして、残ることに決めた。
1964年、ザ・ドリフターズ誕生。
→1969年、「8時だョ!全員集合」がスタート。
→最高視聴率は、50.5パーセントを記録。
○母親
父親は幼い頃に他界。
→母親は、バンドマンになることを反対しなかった。
→好きな道に進んでいいが、トップになりなさい、と言われた。
→母親は1980年に他界。
「全員集合」が終わり、家に帰ったら、母親に何かあったと感じた、
と加藤さん。
→急いで家の中に入ったら、異様な雰囲気で誰もいなかった。
→母親は部屋で倒れていた。
→呼びかけても返事が無いため、救急車を呼んだ。
→既に手遅れだった。
→自分がいけなかったと思った、と加藤さん。
倒れる10日前にも、1度倒れている。
→血圧が高く、脳血栓で気が遠くなっていた。
→とても元気な母親なので、軽く考えていた。
→病気になっても、まさか死ぬとは思わなかった。
→その時に病院に連れて行かなかったため、自分のせいだと
思った。
母親が亡くなった時、後を追おうと思った、と加藤さん。
→自分の責任を取るため。
→もしそうなっていたら、母親を不幸にしていた、と美輪さん。
決意していたら、お坊さんに「死のうと思っているね」と言われた。
→母親は不幸になる、と美輪さんと同じことを言われた。
母親は寿命だったとおっしゃっている、と江原さん。
→シグナルはあったが、それを強く受け止めなかったことは、
どうしようもないこと。
→母親は人の世話になるのが嫌な性格。
→加藤さんの足を引っ張りたくなかった。
→息子をすごく愛していた。
母子の絆が深すぎるのは、ちょっとマイナス点、と江原さん。
→結婚のことで足を引っ張ったのは私、と母親は言っている。
→他人が入る隙間が無い、と美輪さん。
○大病
2006年、加藤さんは大動脈解離で緊急入院。
→生死の境をさまよい、奇跡的に回復。
→医者からは、8〜9割方は死んでいた、と言われた。
まだ生きなければいけない、と江原さん。
→病気以降は、新しい人生になっている。
→それ以前は、母親との絆に縛られていた。
→一人ではない、という気持ちがどこかにあった。
今後はお客さんを楽しませることと、家族の支えになること。
→2003年に離婚しているが、別れた奥さんは献身的に看病をして
くれた。
関心無い人や好きではない人にそんなことしますか?と美輪さん。
→別れているが、まだ愛情はあるはず。
→気持ちはあるのに、加藤さんの心の中に他人を入れる部屋が
無かった、と江原さん。
○復縁
遊びで行き過ぎるところがある、と加藤さん。
→遊びが害になっても得にはならない、と美輪さん。
→快楽は良い物のように見えるが、悪魔のもの。
→アダムとイブと同じで、天国から追放される。
オーラの泉に来た一番の理由は、それに気付くこと、と江原さん。
→このままだと、また病気になってしまう。
→お酒はやめて、食事(塩分)にも気をつけること。
→医食同源、と江原さん。
食事は電子レンジでチンばかり、と加藤さん。
→病気のフリして元の奥さんに来てもらえばいい、と美輪さん。
→子供のためにも元の鞘に戻ること。
→子供も天国の母親も喜ぶはず。
→子供にとって何があっても父親は一人、と江原さん。
○いかりや長介さん
いかりや長介さんは、ドリフターズのコントを望んでいる、と
江原さん。
→すごく寂しがり屋の面があったため、みんながバラバラに
なるのは嫌。
コントをやるためにも、お酒はやめること。
→自分は病人なんだ、と思っておくこと、と美輪さん。
コメディアンの加藤茶さんが出演。
○加藤茶さんのプロフィール
加藤茶(かとう ちゃ)
本名:加藤英文(かとう ひでゆき)
生年月日:1943年3月1日
出身地:愛媛県新居浜市
血液型:A型
1962年、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーに。
1964年、ギャグ「加トちゃんぺ」でブレイク。
1969年、「8時だョ!全員集合」に出演。
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、クイズ番組「赤っ恥」で一緒になったことがある。
江原さんとは、番組で一度お会いしたことがある。
→自分しか知らないことを言われて舞い上がった。
→母親に訪問着を買ってあげたこと。
→放送されなかったが、母親からの心臓と循環器に注意、と
いうメッセージもあった。
→2006年、加藤さんは大動脈解離で入院。
○ザ・ドリフターズ
17歳でバンドマンを目指し、音楽の道へ。
→19歳でいかりや長介さんと出会い、お笑いの道へ。
いかりやさんとは、新宿のバンドが集まる店で初めて会った。
→話が面白く、とてもファンキーな人だった。
→笑いに対してストイックであり、その時は大好きだった。
→この人とならお笑いができると思った。
ドリフターズの前身バンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に、
いかりや長介さんとメンバー入り。
→約15人のメンバーがいた。
→当時、笑いには興味が無く、ドラム一本で食べて行こうと、
思っていた。
→メンバーがやっているお笑いをみて、やってみたくなった。
当時は「ハナ肇とクレイジーキャッツ」がウケていた。
→本格的に音楽コントをやりたくなり、ドリフターズは分裂。
→加藤さんは「ドンキーカルテット」に入り、いかりやさんは
ドリフターズに残る予定だった。
→いかりやさんは加藤さんに目を付け、説得された。
→電車での移動中の6時間、ずっと説得された。
→その後もずっと説得された。
→根負けして、残ることに決めた。
1964年、ザ・ドリフターズ誕生。
→1969年、「8時だョ!全員集合」がスタート。
→最高視聴率は、50.5パーセントを記録。
○母親
父親は幼い頃に他界。
→母親は、バンドマンになることを反対しなかった。
→好きな道に進んでいいが、トップになりなさい、と言われた。
→母親は1980年に他界。
「全員集合」が終わり、家に帰ったら、母親に何かあったと感じた、
と加藤さん。
→急いで家の中に入ったら、異様な雰囲気で誰もいなかった。
→母親は部屋で倒れていた。
→呼びかけても返事が無いため、救急車を呼んだ。
→既に手遅れだった。
→自分がいけなかったと思った、と加藤さん。
倒れる10日前にも、1度倒れている。
→血圧が高く、脳血栓で気が遠くなっていた。
→とても元気な母親なので、軽く考えていた。
→病気になっても、まさか死ぬとは思わなかった。
→その時に病院に連れて行かなかったため、自分のせいだと
思った。
母親が亡くなった時、後を追おうと思った、と加藤さん。
→自分の責任を取るため。
→もしそうなっていたら、母親を不幸にしていた、と美輪さん。
決意していたら、お坊さんに「死のうと思っているね」と言われた。
→母親は不幸になる、と美輪さんと同じことを言われた。
母親は寿命だったとおっしゃっている、と江原さん。
→シグナルはあったが、それを強く受け止めなかったことは、
どうしようもないこと。
→母親は人の世話になるのが嫌な性格。
→加藤さんの足を引っ張りたくなかった。
→息子をすごく愛していた。
母子の絆が深すぎるのは、ちょっとマイナス点、と江原さん。
→結婚のことで足を引っ張ったのは私、と母親は言っている。
→他人が入る隙間が無い、と美輪さん。
○大病
2006年、加藤さんは大動脈解離で緊急入院。
→生死の境をさまよい、奇跡的に回復。
→医者からは、8〜9割方は死んでいた、と言われた。
まだ生きなければいけない、と江原さん。
→病気以降は、新しい人生になっている。
→それ以前は、母親との絆に縛られていた。
→一人ではない、という気持ちがどこかにあった。
今後はお客さんを楽しませることと、家族の支えになること。
→2003年に離婚しているが、別れた奥さんは献身的に看病をして
くれた。
関心無い人や好きではない人にそんなことしますか?と美輪さん。
→別れているが、まだ愛情はあるはず。
→気持ちはあるのに、加藤さんの心の中に他人を入れる部屋が
無かった、と江原さん。
○復縁
遊びで行き過ぎるところがある、と加藤さん。
→遊びが害になっても得にはならない、と美輪さん。
→快楽は良い物のように見えるが、悪魔のもの。
→アダムとイブと同じで、天国から追放される。
オーラの泉に来た一番の理由は、それに気付くこと、と江原さん。
→このままだと、また病気になってしまう。
→お酒はやめて、食事(塩分)にも気をつけること。
→医食同源、と江原さん。
食事は電子レンジでチンばかり、と加藤さん。
→病気のフリして元の奥さんに来てもらえばいい、と美輪さん。
→子供のためにも元の鞘に戻ること。
→子供も天国の母親も喜ぶはず。
→子供にとって何があっても父親は一人、と江原さん。
○いかりや長介さん
いかりや長介さんは、ドリフターズのコントを望んでいる、と
江原さん。
→すごく寂しがり屋の面があったため、みんながバラバラに
なるのは嫌。
コントをやるためにも、お酒はやめること。
→自分は病人なんだ、と思っておくこと、と美輪さん。