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オーラの泉スペシャル(2008/10/04放送)に、歌手・女優の
松田聖子さんが出演。

○松田聖子さんのプロフィール

松田聖子(まつだ せいこ)
本名:蒲池法子(かまち のりこ)
生年月日:1962年3月10日
出身地:福岡県久留米市
血液型:A型

1980年、「裸足の季節」で歌手デビュー。
1985年、俳優の神田正輝さんと結婚。
1986年、長女の沙也加さんを出産。
1997年、離婚。
1998年、6歳年下の歯科医と結婚。
2000年、離婚。


○スピリチュアル・チェック

・どんな子供でしたか
 →いつも外で遊んでいるような元気な子供

・苦手なもの
 →自分の意思や力で外に出ることができない空間に
  入ってしまうこと

・人生の転機
 →デビューした時

・歌とは何ですか
 →生きていくためのエネルギー

・不思議な体験
 →亡くなった父が定期的に夢に出てきて会話をする
  目が覚めると本当に話していたようにリアルな感じ

・一つだけ願いが叶うとしたら
 →父にもう一度会ってみたい


○冒頭

聞きたいことは、亡くなった父がどんな風にしているのか、
何を考えているのか、と聖子さん。


○江原さん、美輪さんとの関係

美輪さんとは初めまして。
→美空ひばりさんに雰囲気が似ている、と美輪さん。
 →匂いや持っている雰囲気が同じ。

江原さんとも初めまして。
→廊下で見かけた時に瞬間的に移動する、と江原さん。
 →一瞬にしてモードが変わる人。


○オーディション

高校1年生の時、両親に内緒でオーディションに応募。
→両親はとても厳しく、家族の中で大問題となった。

父親は11年前に他界。
→母親は何でも話せる存在。
 →父親との間に入って説得してくれた。

小さい頃は歌手になるとは思っていなかった。
→高校1年の頃、友達と遊び半分で「ミス・セブンティーン
 コンテスト」に応募。
 →書類と歌のテープを送った。
  →忘れた頃に「九州地区大会へ来るように」という連絡が来た。

両親には内緒で、オーディションを受けた。
→母親にはすぐにバレて、すごく怒られた。
 →優勝者で自分の名前が呼ばれてしまい、父親に何て言おうか
  母親と一緒に困っていた。
  →その日は父親に言えなかった。

翌日、父親に言ったら「何を考えているんだ」と怒られた。
→「ミス・セブンティーンコンテストは辞退しなさい」と
 言われた。
 →辞退して普通の生活を送っていた。

数週間後にディレクターから連絡があり、別の形でデビュー
しませんか?とレコード会社にスカウトされた。

父親が納得してくれるまでに2年かかった、と聖子さん。
→父親は音楽や芸術が好きだった、と江原さん。
 →ジャンルは違うが音楽が好きだった。
  →厳しいけれど楽しむことも知っている人だった、と
   聖子さん。


○デビュー

父親からは「3年間一生懸命やって、だめだったら諦めて学校に
戻るように」と約束させられた。
→うれしかった反面、何があっても頑張らなければ、と思った。

1980年、18歳でデビュー。
→80年代を代表するアイドルになり、24曲連続オリコンランキング
 1位を獲得。
 →仕事はとても忙しく、睡眠時間は1日2〜3時間。
  →本当に忙しくて、自分が売れていることを考える暇も
   なかった、と聖子さん。

1981年、父親は仕事の関係で母親と一緒に上京。
→聖子さんは、23歳で結婚。
 →24歳で出産。
  →両親が助けてくれたからできたと思う、と聖子さん。


○沙也加さん

2002年、娘の沙也加さんが15歳で歌手デビュー。
→大反対した、と聖子さん。
 →子を持って知る親の恩、と美輪さん。

芸能界の辛い思いを娘にさせたくなかった、と聖子さん。
→他の事に興味を持たせようとしていたが、小さい頃から
 芸能界への興味が消えなかった。

さんざん反対した結果、事務所の社長から「自分の17歳の頃を
思い出してみなさい」と言われた。
→母親からは「やっと分かったわね」と言われた。


○歌手

20代の頃は、立ち止まって周りの景色を見る余裕もなかった。
→40代になって、やっと自分の時間を持ちながら、自分のペースで
 仕事が出来るようになった、と聖子さん。

歌手を辞めようと思ったことは一度も無い。
→好きだから、と美輪さん。
 →舞台の上で歌うと、生きているという充実感があるから。

美空ひばりさんもそうだった、と美輪さん。
→嫌なことがあっても、歌うことで全て帳消しになる。
 →自分のことをみんなが肯定しているから。
  →舞台に立つと力が湧いて元気になる、と聖子さん。

歌手になったのは自然の道、と江原さん。
→その時その時にやるべき事、好きな事をしてきただけ。


○女性の夢

誰でもやりたいことをやっていきたいが、現実的には不可能。
→聖子さんはそれをやっている人。
 →女性のファンが多い理由。

日本では女子供を敵に回したら勝負にならない、と美輪さん。
→男は社会人になったら文化が無く、音楽会にも行かない。
 →男を相手にしていたら日本では勝負にならない。
  →女性に支持されているのは、息が長い証拠。

1996年、自ら作詞作曲した「あなたに逢いたくて」が大ヒット。
1997年、父が他界。


○夢に現れる父

亡くなった父が定期的に夢に出てきて会話をする。
→目が覚めると本当に話していたようにリアルな感じ。
 →抱きしめられた感触が残っている。

形としては夢だが、実際に会っている、と江原さん。
→父親は守ろうとする気持ちが強い人。
 →親としての使命感が強い。
  →子煩悩。

お骨を分けようという話になったんですか?と江原さん。
→お墓が2つある?、と江原さん。

父親は福岡県柳川市出身、長男の兄は神奈川に住んでいるため、
近くに移した方がいいのではないか、という話もあった、と
聖子さん。
→現在はまだ柳川市にお墓がある。

父親は望郷の念が強い、と江原さん。
→できれば移さずに残しておきたい。

父親は聖子さんのために東京へ出てきたが、食べ物に至るまで
東京には馴染めなかった。
→娘を守りたい一心だった。
 →家族のために生きた人のため、移さない方が良い。
  →父親は親孝行して欲しい、と言っている、と江原さん。


○霊媒体質

霊媒体質で瞬間的に変わる人、と江原さん。
→自分は自然でも、周りの人から見ると別人のようにモードが
 変わる。

娘と話をしていると、話が次から次へ飛ぶ、と言われる、と
聖子さん。
→話題の切り替えが早いが、聖子さんは全然意識していない。
 →会話が全然かみ合っていないことがよくある。

支配されそうになったら、跳ね除ける、と江原さん。
→束縛されるが嫌。
 →前世の流れでは何度も束縛されてきた、と美輪さん。
  →恋愛で人生を振り回されるのは嫌、と江原さん。

「女性だから」というのが嫌い、と江原さん。
→女性だから家庭に入らなければいけない、ここまでしかやっては
 いけない、というのが嫌い。
 →「どうして?」という意識がすごく強い。

大きな言い方をすると女性の人権、と江原さん。
→女性がもっと伸び伸びと生きることを表現したい。
 →音楽はメッセージを伝えるもの。
  →女性にエールを送る役目。
   →勇気付けられている女性はたくさんいる。

人間としてどうあるべきか、と美輪さん。
→男女・芸能人などは関係なく、戦い続ければ良い。

それを忘れないようにフランス革命の時の有名な絵「民衆を導く
自由の女神」(ドラクロワ作)を見ると良い、と美輪さん。
→女神を自分だと思えば良い。
 →この世で最も素晴らしいものは、誰にも束縛されない自由だ、
  と思えるようになる。


○父のメッセージ

父親は、娘の苦労を見てきて自分が変わってきた、とおっしゃって
いる、と江原さん。
→自分がサポートしなくてはいけない、と思いが変わった。
 →聖子さんのおかげでみんなが結束できた。

父親は娘のために人生の半分をプレゼントした、と江原さん。
→聖子さんは一人の活躍ではなく、家族みんなのおかげ。

冷えるのなら体をきちんとしないといけない、と江原さん。
→寒がり、と聖子さん。
 →冷え性なのに自分では何もケアしていない。
  →父親が生きている時は秋になると暖かい布団に替えて
   くれていたが、今は自分でもきちんとやること。

今では、あの世で元気で働いている、と江原さん。
→心配はいらない。
 →亡くなった後に偲んでくれて、いつまでも思い続けてくれる
  家族がいれば幸せ、と美輪さん。

最期は苦しかった、と江原さん。
→水をたっぷり飲みたかった。
 →意識が無いと言っていたが、本人としては早く逝かせて
  欲しかった。
  →水を供えてくれたから、もう大丈夫だ、と父親は言っている。
   →今は苦しみから解放され、穏やかな顔をしている。

相当苦しかったが、穏やかな状況になるのは早い、と江原さん。
→思い残すことなく生き抜いたから。
 →心配や不安、後悔などはさらさら無い、と美輪さん。
| オーラの泉/2008 | 19:26 | オーラの泉 出演者 | スピリチュアルランキング |