田中義剛さん
オーラの泉(2008/10/25放送)に、タレント・酪農家の
田中義剛さんが出演。
○田中義剛さんのプロフィール
田中義剛(たなか よしたけ)
生年月日:1958年3月13日
出身地:青森県八戸市
血液型:−
1990年頃からテレビのバラエティ番組で活躍。
1992年、北海道で花畑牧場を設立。
「生キャラメル」が大ヒット。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃、どんな子供でしたか
→きかない子供
・趣味
→馬に乗ること
・よく見る夢
→カビに襲われる夢
・人生の転機
→16歳の時に一番の親友が船で遭難して亡くなったこと
・不思議な体験
→親友の葬儀から帰る途中、自転車の電気が消えて、後ろに
誰かが乗っていてすごく重かった
後ろは振り向けなかったが、その親友だと思った
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、約15年前に一緒に仕事をした。
→会うのはそれ以来。
江原さんとは、初めまして。
オーラの泉には、半年前から「機会があったら出させてください、
聞きたいことがあります」とお願いをしていた、と田中さん。
→50歳になった今なら素直に聞ける。
○生涯の親友
出身地は青森県八戸市のため、漁師町で家業を継ぐのが当たり前
だった。
→田中さんは、サラリーマン家庭。
→継ぐものが無かった。
中学時代に生涯の親友に出会った。
→その友達の父親は漁師のため、船乗りを目指していた。
→高校1年の時、初めての漁に出た。
→夏になって、船が遭難した、という知らせが来た。
→友達は亡くなってしまった。
夢を持った人が亡くなってしまい、何の夢も持たない自分が
生きていて、分からなくなった、と田中さん。
→人と喋れなくなり、塞ぎ込んでいた。
次の年の春、花を手向けに北海道へ行った。
→帰りにお金が無くなり、日高門別駅で下りたら牧場があり、
サラブレッドがいた。
→飛び込みで「働かせてください」と頼んだ。
→初めて馬の出産を見た。
→新しい命の誕生のインパクトが強く、牧場をやれ、という
ことかな、と思った。
→開き直って、そこから元気になった。
○夢
大学生の頃、先生から牧場をやるには最低2億円かかる、と
言われた。
→土地や牛、サイロや機械の購入。
→どうしても牧場のオーナーになりたいため、諦められなかった。
ある日、ラジオを聞いていたら、松山千春さんの「季節の中で」が
聞こえてきた。
→田舎から出てきて、ギター1本でお金を稼いでいた。
→これしかない、と思い、ラジオの歌のオーディションを受けた。
→歌では落ちたが、しゃべりで合格。
→ラジオ番組「田中義剛の酪農根性」のパーソナリティーに。
→深夜に5分間、牛の話をしていた。
28歳の頃、東京に進出。
→吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットし、吉幾三さん
から「いつでも東京へ来い」と言われ、東京へ行った。
→吉幾三さんは冗談のつもりだったため、自分で必死に事務所を
探した。
→社長に頼み込んで入れてもらった。
○芸能界から牧場主へ
芸能界を始めてから、レギュラーは10本以上あった。
→心ここにあらず、でタレント生活はいつか終わると思っていた。
→東国原英夫さんとよく話していて、ずっと芸能界にいるタイプ
じゃない、と話していた。
→やめるための準備ばかりしていた。
1994年、事務所から借金し、北海道中札内村に7万坪の土地を購入。
→牧場経営に乗り出す。
→10年間赤字が続いた。
→4億円の赤字になり、スタッフが辞めていった。
→やめようと思ったが、家族には言えなかった。
→稼ぐためには東京でテレビの仕事をするしかなかった。
→プレッシャーでおかしくなった。
→チーズはカビだらけで全て返品になった。
窮地を救ったのは、田中さんの情熱とアイデア。
→ひょうたん型のチーズ「カチョカヴァロ」がヒット商品に。
→チーズ製造過程に出る液体「ホエー」を豚のエサに利用し、
ホエー豚酪農を始める。
→おがくずと微生物を利用した「バイオベッド」を養豚場に
敷き詰め、清潔な豚舎を作る。
→生キャラメルが大ヒット。
→年商50億円の牧場主となり、観光客の集まる牧場に。
○スタッフと親友
3年前までは赤字だった。
→田中はもう潰れる、と十勝中の噂になり、スタッフが辞めて
いった。
→1人だけは最後まで残ってくれた。
その人は亡くなった友達に似ている、と美輪さん。
→その人に時々のっていたと思う、と美輪さん。
→彼の言う言葉で我に返っていた、と江原さん。
→たまに言う言葉が核心を突いている、と田中さん。
その人も何回も辞めようと思っていたはず、と江原さん。
→辞めようと思う度に、友達がのってくる、と美輪さん。
→その人が辞めたら、自分も辞めようと思っていた、と田中さん。
今では牧場のスタッフが500人になった。
→奇跡だと思っているが、諦めなかったから今がある、と田中さん。
○亡くなった友達
亡くなった友達はずっと一緒にいる、と江原さん。
→船乗りになりたかったのは本当の気持ちではないが、親を楽に
したかった。
→人の笑顔が欲しいので、田中さんにその道へ行け、と
言っている。
田中さんはすぐ投げる性格、と江原さん。
→諦めが早い。
→北海道中札内村に牧場を買っていなかったら、粘れなかった。
→友達に花を手向けた思い出の場所の近くであり、帰る度に
飛行機から見える。
→別の場所だったら、すぐに諦めていた。
誰の言うことも聞かない人、と江原さん。
→親の言うことも聞かないが、その友達の言うことだけは聞く。
→生まれて初めて、心の絆を結んだ人同士だったから。
→夢を託された、という心の絆がある。
○前世
前世は、フランスで農場をやっていた人。
→ブドウとワイン。
→田中さんもいずれ着手するかもしれない、と江原さん。
→ニュージーランドに欲しいワイナリーがある、と田中さん。
→買おうと思っていた。
前世では、苦労して得た地位ではない。
→親から農園を引き継いでいる。
→趣味は馬だった。
→道楽が過ぎて破綻した。
○これから
今が要でこれからが注意、と江原さん。
→借金は無くなったので、会社の体制をきちんとしなくては
いけない。
→限界が来ていて、不協和音も出ている。
→経営を学んで、維持しなければならない。
人心掌握術もある、と美輪さん。
→仕事になるとキツくなり、それが相手には恨みになる。
→従業員の生活や土地への貢献もあるため、みんなの笑顔を
無くさないように、と江原さん。
今までは根性と情念で生きていた、と美輪さん。
→会社が大きくなると、根性や精神論だけでは成立しない。
→理性だけで全てを計算し、怒りは一旦飲んで、指示をする。
→経営者の帝王学。
自分ひとりではどうにもならない状況に追い詰められている、と
田中さん。
→友達が奇跡をプレゼントしてくれたなら、それを少しでも長続き
させたい、と田中さん。
○おじいさん
おじいさんの農業への想いもある、と江原さん。
→おじいさんの田中正助さんは、山形県で稲作の改良普及に努め、
近代稲作の父とも呼ばれ、石像も建っている。
→全国を講演して歩き、長唄なども教えている。
→創意工夫の人。
おじいさんは田中さんが生まれる1ヶ月前に亡くなっている。
→田中さんは生まれ変わりだ、と言われた。
→田中さんもきっかけは音楽、と江原さん。
○感謝
もう一つは家族への感謝、と江原さん。
→みんなから支えられているので、愛情を確認すること。
本当に今が境目、と江原さん。
→その危険は自分でも感じているはず。
→今日、オーラの泉に呼ばれたのは、家族、友達、おじいさん、
前世からのメッセージ。
助けてもらってばかりでは困る、と美輪さん。
→もう安心しろ、と言えるようになると良い。
→人望がある人なら社員もついてくる。
→天狗になる前に感謝が大切。
おじいさんの墓参りにも行きましょう、と江原さん。
→節目節目に行くこと。
→友達の墓参りには行っているが、おじいさんの墓には
行っていない、と田中さん。
→おじいさんは商品開発に興味があったため、アイデアを
授けてくれている、と江原さん。
田中義剛さんが出演。
○田中義剛さんのプロフィール
田中義剛(たなか よしたけ)
生年月日:1958年3月13日
出身地:青森県八戸市
血液型:−
1990年頃からテレビのバラエティ番組で活躍。
1992年、北海道で花畑牧場を設立。
「生キャラメル」が大ヒット。
○スピリチュアル・チェック
・小さい頃、どんな子供でしたか
→きかない子供
・趣味
→馬に乗ること
・よく見る夢
→カビに襲われる夢
・人生の転機
→16歳の時に一番の親友が船で遭難して亡くなったこと
・不思議な体験
→親友の葬儀から帰る途中、自転車の電気が消えて、後ろに
誰かが乗っていてすごく重かった
後ろは振り向けなかったが、その親友だと思った
○江原さん、美輪さんとの関係
美輪さんとは、約15年前に一緒に仕事をした。
→会うのはそれ以来。
江原さんとは、初めまして。
オーラの泉には、半年前から「機会があったら出させてください、
聞きたいことがあります」とお願いをしていた、と田中さん。
→50歳になった今なら素直に聞ける。
○生涯の親友
出身地は青森県八戸市のため、漁師町で家業を継ぐのが当たり前
だった。
→田中さんは、サラリーマン家庭。
→継ぐものが無かった。
中学時代に生涯の親友に出会った。
→その友達の父親は漁師のため、船乗りを目指していた。
→高校1年の時、初めての漁に出た。
→夏になって、船が遭難した、という知らせが来た。
→友達は亡くなってしまった。
夢を持った人が亡くなってしまい、何の夢も持たない自分が
生きていて、分からなくなった、と田中さん。
→人と喋れなくなり、塞ぎ込んでいた。
次の年の春、花を手向けに北海道へ行った。
→帰りにお金が無くなり、日高門別駅で下りたら牧場があり、
サラブレッドがいた。
→飛び込みで「働かせてください」と頼んだ。
→初めて馬の出産を見た。
→新しい命の誕生のインパクトが強く、牧場をやれ、という
ことかな、と思った。
→開き直って、そこから元気になった。
○夢
大学生の頃、先生から牧場をやるには最低2億円かかる、と
言われた。
→土地や牛、サイロや機械の購入。
→どうしても牧場のオーナーになりたいため、諦められなかった。
ある日、ラジオを聞いていたら、松山千春さんの「季節の中で」が
聞こえてきた。
→田舎から出てきて、ギター1本でお金を稼いでいた。
→これしかない、と思い、ラジオの歌のオーディションを受けた。
→歌では落ちたが、しゃべりで合格。
→ラジオ番組「田中義剛の酪農根性」のパーソナリティーに。
→深夜に5分間、牛の話をしていた。
28歳の頃、東京に進出。
→吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットし、吉幾三さん
から「いつでも東京へ来い」と言われ、東京へ行った。
→吉幾三さんは冗談のつもりだったため、自分で必死に事務所を
探した。
→社長に頼み込んで入れてもらった。
○芸能界から牧場主へ
芸能界を始めてから、レギュラーは10本以上あった。
→心ここにあらず、でタレント生活はいつか終わると思っていた。
→東国原英夫さんとよく話していて、ずっと芸能界にいるタイプ
じゃない、と話していた。
→やめるための準備ばかりしていた。
1994年、事務所から借金し、北海道中札内村に7万坪の土地を購入。
→牧場経営に乗り出す。
→10年間赤字が続いた。
→4億円の赤字になり、スタッフが辞めていった。
→やめようと思ったが、家族には言えなかった。
→稼ぐためには東京でテレビの仕事をするしかなかった。
→プレッシャーでおかしくなった。
→チーズはカビだらけで全て返品になった。
窮地を救ったのは、田中さんの情熱とアイデア。
→ひょうたん型のチーズ「カチョカヴァロ」がヒット商品に。
→チーズ製造過程に出る液体「ホエー」を豚のエサに利用し、
ホエー豚酪農を始める。
→おがくずと微生物を利用した「バイオベッド」を養豚場に
敷き詰め、清潔な豚舎を作る。
→生キャラメルが大ヒット。
→年商50億円の牧場主となり、観光客の集まる牧場に。
○スタッフと親友
3年前までは赤字だった。
→田中はもう潰れる、と十勝中の噂になり、スタッフが辞めて
いった。
→1人だけは最後まで残ってくれた。
その人は亡くなった友達に似ている、と美輪さん。
→その人に時々のっていたと思う、と美輪さん。
→彼の言う言葉で我に返っていた、と江原さん。
→たまに言う言葉が核心を突いている、と田中さん。
その人も何回も辞めようと思っていたはず、と江原さん。
→辞めようと思う度に、友達がのってくる、と美輪さん。
→その人が辞めたら、自分も辞めようと思っていた、と田中さん。
今では牧場のスタッフが500人になった。
→奇跡だと思っているが、諦めなかったから今がある、と田中さん。
○亡くなった友達
亡くなった友達はずっと一緒にいる、と江原さん。
→船乗りになりたかったのは本当の気持ちではないが、親を楽に
したかった。
→人の笑顔が欲しいので、田中さんにその道へ行け、と
言っている。
田中さんはすぐ投げる性格、と江原さん。
→諦めが早い。
→北海道中札内村に牧場を買っていなかったら、粘れなかった。
→友達に花を手向けた思い出の場所の近くであり、帰る度に
飛行機から見える。
→別の場所だったら、すぐに諦めていた。
誰の言うことも聞かない人、と江原さん。
→親の言うことも聞かないが、その友達の言うことだけは聞く。
→生まれて初めて、心の絆を結んだ人同士だったから。
→夢を託された、という心の絆がある。
○前世
前世は、フランスで農場をやっていた人。
→ブドウとワイン。
→田中さんもいずれ着手するかもしれない、と江原さん。
→ニュージーランドに欲しいワイナリーがある、と田中さん。
→買おうと思っていた。
前世では、苦労して得た地位ではない。
→親から農園を引き継いでいる。
→趣味は馬だった。
→道楽が過ぎて破綻した。
○これから
今が要でこれからが注意、と江原さん。
→借金は無くなったので、会社の体制をきちんとしなくては
いけない。
→限界が来ていて、不協和音も出ている。
→経営を学んで、維持しなければならない。
人心掌握術もある、と美輪さん。
→仕事になるとキツくなり、それが相手には恨みになる。
→従業員の生活や土地への貢献もあるため、みんなの笑顔を
無くさないように、と江原さん。
今までは根性と情念で生きていた、と美輪さん。
→会社が大きくなると、根性や精神論だけでは成立しない。
→理性だけで全てを計算し、怒りは一旦飲んで、指示をする。
→経営者の帝王学。
自分ひとりではどうにもならない状況に追い詰められている、と
田中さん。
→友達が奇跡をプレゼントしてくれたなら、それを少しでも長続き
させたい、と田中さん。
○おじいさん
おじいさんの農業への想いもある、と江原さん。
→おじいさんの田中正助さんは、山形県で稲作の改良普及に努め、
近代稲作の父とも呼ばれ、石像も建っている。
→全国を講演して歩き、長唄なども教えている。
→創意工夫の人。
おじいさんは田中さんが生まれる1ヶ月前に亡くなっている。
→田中さんは生まれ変わりだ、と言われた。
→田中さんもきっかけは音楽、と江原さん。
○感謝
もう一つは家族への感謝、と江原さん。
→みんなから支えられているので、愛情を確認すること。
本当に今が境目、と江原さん。
→その危険は自分でも感じているはず。
→今日、オーラの泉に呼ばれたのは、家族、友達、おじいさん、
前世からのメッセージ。
助けてもらってばかりでは困る、と美輪さん。
→もう安心しろ、と言えるようになると良い。
→人望がある人なら社員もついてくる。
→天狗になる前に感謝が大切。
おじいさんの墓参りにも行きましょう、と江原さん。
→節目節目に行くこと。
→友達の墓参りには行っているが、おじいさんの墓には
行っていない、と田中さん。
→おじいさんは商品開発に興味があったため、アイデアを
授けてくれている、と江原さん。